て見え、顔というよりも、むしろ何か極めて薄い膜を根気よく張り重ねてこしらえた不規則な形の箱のような感じがした。
私は、ちらと見た瞬間、それらのことを感じると、今度は反射的に息をころしながら、道端の草の茂みの中へ踏み込んでそこを通り抜け、駆け出さんばかりにしてそこを遠ざかった。
また、八十八カ所の霊場である石手寺の参道には両側ともびっしりと乞食が坐っていたが、その大半は癩者であった。彼らが参詣人から与えられる小額の銅貨を受け取るため、絶えず前に突き出している手にはほとんど五指がなかった。我々はそれを見るのがいやさに、この参道を駆け抜けるのが常であったが、あとで生姜《しょうが》を見るたびによくその手を思い出した。そして石手という地名は我々の間ではしばしば癩の隠語として用いられるようになった。
このような環境に育った我々が、ややもの心がついてくるにしたがって、いやおうなしに癩の運命について考えさせられたことは少しも不思議ではない。そればかりでなく、我々が人生について、宗教について、恋愛について考え始めると、癩はいつも思考の隙間隙間へ忍び込んで、だまって首を振っているようになった。そして癩は機会のあるごとに我々の耳へ口を寄せ、こういってささやく。「おれを肯定しないで人生を肯定したって、そんなのはうそっぱちだよ」と。
かくて、いまや我々は癩というものを単なる肉体の病気の一種としてのみ理解しているのではない。むしろ人生における、最も深刻なる、最も救いのない不幸の象徴として理解しているのである。
どんな不幸な人をつれてきても、「まア癩病のことを思えばいいじゃありませんか。」という慰めの言葉が残っている。しかし、癩病の人に何といったらいいか。上を見ればきりがない、下を見なさいと人はいうが癩者にとってはその下がないのだ。まことに、これこそ人生のどんづまりである。すなわち癩の問題に触れることは「人生の底」に触れる意味を持つ。
さて、一応以上の意味を了解したうえで、ここに一つの疑問を提出してみたい。つまり、芸術家として、癩を扱いながら、しかも人生の底に触れることは、なるべくこれを避けようとする態度は正しいことであるかどうか。
次に、芸術家の好むと好まざるとにかかわらず、映画というものは、その持ちまえの表現形式があまりにも具体的でありすぎるため、癩者の現実を直接かつ率直に描写
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