に移る。すなわち優秀なる映画さえ作れば、進出は期して待つべしという説である。なるほどこの説はある程度まで正しい。しかし要するにある程度までである。
なぜか。今それを明らかにする。芸術が民族の生活のうえに咲く花だということを私はすでにいつた。ここに大きな問題がある。もちろん芸術には国際性もある。すぐれた芸術にしてしかも国際性を持つものは、その属する民族の生活をうるおしたうえ、さらに流出し国境の外へひろがつて行く。しかしいかに優れた芸術でもあまりにも民族性が濃厚で国際性に乏しい場合は他邦で理解せられず、したがつて国境を越えない場合がある。
たとえば芭蕉の俳句である。万葉の歌である。これらは民族の芸術としては世界に誇つていいものであるが国際性はない。しかるに浮世絵の場合になると、あれほど民族性が濃厚でありながら、造型芸術なるゆえに案外理解せられて国境を越えて行つた。(あるいは浮世絵の持つエロチシズムが多分に働いているかもしれないが。)
ここにはむろん芸術の範疇の問題もある。すなわち絵画は文学よりも国際性があり、散文は詩よりも国際性に富むという類である。
たとえばユゴーといえば我々はすぐに「レ・ミゼラブル」を想起するが、彼の本国において散文作家としてのユゴーよりも詩人としてのユゴーのほうがはるかに高く評価されているようである。しかし我々はユゴーに詩があることさえろくに知らない。この一例は芸術の範疇によつて国際性に径庭のある事実を端的に物語つているが、同時にまた、価値の高いものでさえあれば国際性を持つという意見が必ずしも正しくないことを証拠立ててもいるのである。
さらに次のような例もある。すなわち我々は過去において外国の探偵小説を読み、それらの作家の名前までおぼえてしまつた。しかし、それらとは比較にもならないほど高い作家である鴎外の名を知つている外国人が果して何人あるだろう。ここにもまた国際性が決して価値に比例しない実例を見る。
優れた作品を作りさえすれば、それらは易々と国外に進出するという楽観論は、芸術に国際性のみを認めて民族性のあることを見落したずさんな議論であつてまだ思考が浅いのである。
いま、日本の政治は何より映画の国際性を利用しようと焦つているのであるが、ここで特に為政者に深く考えてもらいたいことは芸術においては国際性というものはむしろ第二義の問題だということである。しからば芸術における第一義の問題は何か。他なし。芸術の第一義は実に民族性ということである。
諸君はハマモノという言葉を知つているであろう。いい換えれば横浜芸術である。民族に根ざし、民族に生れた芸術が、自己の民族に対する奉仕を忘れて国際性を第一義とし、輸出を目的とした場合、それはたちまちハマモノに転落し国籍不明の混血児ができあがるのである。「新しき土」はその悲惨なる一例である。この種のものは芸術国日本の真価を傷つけこそすれ、決して真の意味の政治に役立つはずはないと私は今にして確信する。
くり返していう。芸術は何よりもまずその民族のものである。したがつて自己の所属する民族に奉仕する以外には何ごとも考える必要はない。いな、むしろ考えてはならぬのである。自己の民族への奉仕をまつとうし、民族芸術としての責務をはたしたうえ、さらに余力をもつて国境を越えて行くなら、それはよろこばしいことであるが、最初から他の民族への迎合を考えて右顧左眄し始めたらそれはすでに芸術の自殺である。
およそ民族にはそれぞれ異なる事情がある。アメリカにはアメリカの事情があり、我々には我々の事情がある。彼の民族の垣は低く、我が民族の垣は高いのである。
垣とはすなわち風俗、習慣、言語の隔てを意味する。
我がたたみに坐し、彼が椅子に倚るのは風俗習慣の差であつて、それがただちに文化の高低を意味するものではない。
かつて安田靱彦は黄瀬川の陣に相会する頼朝義経の像を画いて三代美術の精粋をうたわれたが、殊に図中頼朝の坐像の美しさは比類がない。また、室町期以降の多くの武将の坐像、あるいは後醍醐天皇の坐像の安定した美しさなど、所詮椅子に腰掛けている人種のうかがい知るべきものではないが、私はこれらの美を解し得ない彼らにむしろ[#「むしろ」は底本では「むろし」]同情を禁じ得ない。
我々の感じる美、我々を刺戟する芸術的感興は、常にあるがままなる民族の生活、その風俗習慣の中にこそあるのである。
他民族がもしも我々の映画の中に畳の上の生活を見て醜いというならば見てもらわぬまでである。他民族の意を迎えるために我々の風俗習慣を歪曲した映画を作るがごときことは良心ある芸術家の堪え得べきことではない。
もちろん現在我々の映画はその表現において、技術において、残念ながら世界一流の域には遠くおよばないものがある
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