及していない。
 内容の目的に沿うにはすでに十分であるが、同時に美的要求を満すためには、さらにポジションの修正を要する場合がある。
 あるいはカットの性質上、内容とポジションがあまり密接な関係を持たない場合がある。
 たとえば描写的なカットなどにおいては往々にして美的要求だけがポジションを決定する場合がある。このような部分、あるいは場合に関しては監督は一応手を引くべきであろう。
 なぜならば、それらは純粋にカメラ的な仕事だから。

 カメラ・ポジションの選択を監督に任せると、カメラマンの仕事がなくなりはしないかと心配する人がある。
 ところが実際において、決してそんな心配は要らないのである。試みにいま私が思いつくままに並べてみてもカメラマンの仕事は、まだこのほかに、配光の指定(これだけでも大変な仕事だ。)、ロケーションの場合は自然光線に関する場所および時間の考慮、絞りと露出の判断、レンズおよびフィルターの選択、ピントに関する考慮と測定、それに付随するあらゆる細心の注意、画面の調子に関するくふう、セット・小道具・衣裳・俳優の肉体などあらゆる色調ならびに線の調和などに対する関心、およびそれ
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊丹 万作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング