及していない。
 内容の目的に沿うにはすでに十分であるが、同時に美的要求を満すためには、さらにポジションの修正を要する場合がある。
 あるいはカットの性質上、内容とポジションがあまり密接な関係を持たない場合がある。
 たとえば描写的なカットなどにおいては往々にして美的要求だけがポジションを決定する場合がある。このような部分、あるいは場合に関しては監督は一応手を引くべきであろう。
 なぜならば、それらは純粋にカメラ的な仕事だから。

 カメラ・ポジションの選択を監督に任せると、カメラマンの仕事がなくなりはしないかと心配する人がある。
 ところが実際において、決してそんな心配は要らないのである。試みにいま私が思いつくままに並べてみてもカメラマンの仕事は、まだこのほかに、配光の指定(これだけでも大変な仕事だ。)、ロケーションの場合は自然光線に関する場所および時間の考慮、絞りと露出の判断、レンズおよびフィルターの選択、ピントに関する考慮と測定、それに付随するあらゆる細心の注意、画面の調子に関するくふう、セット・小道具・衣裳・俳優の肉体などあらゆる色調ならびに線の調和などに対する関心、およびそれらの質・量あるいは運動による画面的効果の計算、カメラの運動に関する一切の操作、およびそれらを円滑ならしめるためのあらゆる注意、撮影機械に関する保存上および能率上の諸注意、現像場との諸交渉・打合せ、および特殊技術に関する協同作業、トーキー部との機械的連繋、および右の諸項を通じて監督との頭脳的協力、とちよつと数えてみてもこんなにある。しかも右のうち、どの一項をとつて考えてみても作品の効果に重大な関係を持たないものはないのだからなかなか大変な仕事だと思わなければならない。
 しかも右にあげたのは撮影現場における仕事だけであるが、カメラマンの仕事は撮影現場を離れると同時に解消するという性質のものではない。
 平素から芸術的理解力においては常に普通社会人の水準から一歩踏み出しているだけの修養が必要なことはもちろん、専門知識においてはまた常に世界の最前線から一歩も遅れない用意が肝腎である。しかも絶えず撮影に関するあらゆる機械的改善を、念頭から離さないだけの熱意を持つことが望ましい。
 これだけの仕事の幅と深さを謙虚な気持で正視している人ならば、おそらく無反省に自分の仕事の分野の拡大を喜ぶということ
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