通するというようなことも稀有な例に属する。
 しかし、だからといつて私は自分の孤独を感じたことはない。
 何千人の、あるいは何万人のファンを持つていますと人に数字を挙げて説明のできることははたして幸福だろうか。
 零から何万にまで増えてきた数字は、都合によつてまた元の零に減るときがないとはいえないのである。
 私は時によつて増えたり減つたりする定めなきものを相手として仕事をする気にはなれないのである。
 つまりそこに一人、ここに一人と指して数えられるものは私の目標ではない。
 すなわち私の目標は個体としての人間ではなく、全体としての人間性である。
 だから私は直接に限られた数のファンとの交渉を持たないかわりに、間接的に無限のファンを持つているのと同じ安心を得ている。
 私の持つているこの象徴的なファンは手紙などはくれないが、そのかわり増えたり減つたりは決してしない。
 おせじをいつたり、暑中見舞をさしあげたりする必要はなおさらない。
 一万、二万と明らかな数字をもつて現わすことは不可能であるがその大きさは無限である。
 私が特定のファンを持たず、特定のファンを目標とせず、特定のファンに
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊丹 万作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング