高の能率と衞生、各人の自由の尊重、規律ある共同的日常行動等も、この種の住宅ならば極めて好都合に實現し得るのではあるまいか。
 新農村生活はまた、舊來の家族制度にまつわる、例えば姑と嫁との間におけるごとき、深刻なる精神問題をも根本的に解決する。そこでは老人の扶養は直接若夫婦の任務ではない。また老人夫婦は若夫婦の上に何等の憂も懸念ももつ必要はない。それぞれの夫婦は、完全に隔離された別室をもち、常に自由なる人生を樂しむであろう。そこでは新民法の精神を生かした夫婦が新たなる社會生活の一單位となり、社會生活は東洋の高き個人主義の上に立ち、アメリカ以上の夫婦中心に徹底するのである。親子の間を結ぶ孝行の道は、これによつて却つて純粹且つ素直に遵守されるものと思われる。この間、同族は單に精神的つながりのみを殘すこととなるであろう。
 眞に爭なき精神生活と、安定せる經濟生活とは、我等が血縁を超えて理想に生き、明日の農村を今日の家族のごとき運命共同体となし得た時、はじめて實現し得るものである。[#地から2字上げ](二四、七、八)

全體主義に關する混迷を明かにす

[#ここから2字下げ]
「新日本の進路」脱稿後、これに使つた「統制主義」という言葉が「全体主義」と混同され、文章全体の趣旨を誤解せしむる惧れありとの忠告を受けた。ここに若干の説明を加えて誤解なきを期したい。
[#ここで字下げ終わり]

 近代社會は專制、自由、統制の三つの段階を經て發展して來た。即ち專制主義の時代から、フランス革命、明治維新等を經て自由主義の時代となり、人類社會はそこに飛躍的發展をとげたのであるが、その自由には限度あり、増加する人口にたいし、土地や資源がこれに伴わない場合、多くの人に眞の自由を與えるため若干のさばきをつける、所謂「統制」を與える必要を生じた。マルクス主義はその最初の頃のものであり、以後世界をあげて統制主義の歴史段階に入つた。ソ連の共産黨はじめ、イギリス、フランス等の近代的社會主義諸政黨、三民主義の中國國民黨、イタリアのフアツシヨ、ドイツのナチ、スペインのフランコ政權、日本の大政翼賛會等がその世界的傾向を示すものであることは本文中に述べた通りである。
 しかしよく注意せねばならぬ。「統制」はどこまでもフランス革命等によつて獲得された自由を全うするために、お互の我ままをせぬということをその根本精神と
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