トケ時代は散兵の火力と密集隊の突撃力との併用が大体戦術の方式であった。それが更に進んで「散兵をもって戦闘を開始し散兵をもって突撃する」時代にすすみ、散兵戦術の発展の最後的段階に達したのがシュリーフェン時代から欧州大戦までの歴史である。
 第一次欧州大戦で決戦戦争から持久戦争へ変転をしたのであるが、戦術もまた散兵から戦闘群に進歩した。フランス革命当時は、先ず戦術的に横隊戦術から散兵戦術に進歩し、戦争性質変化の動機ともなったのであるが、今度は先ず戦争の性質が変化し、戦術の進歩はむしろそれに遅れて行なわれた。
 最初戦線の正面は堅固で突破が出来ず、持久戦争への方向をとるに至ったのであるが、その後砲兵力の集中により案外容易に突破が可能となった。しかし戦前逐次間隔を大きくしていた散兵の間隔は損害を避けるため更に大きくなり、これは見方に依っては第一線を突破せらるる一理由ともなるが、その反面第一線兵力の節約となり、また全体としての国軍兵力の増加は、限定せられた正面に対し使用し得る兵力の増大となり、かくて兵力を数線に配置して敵の突破を防ぐ事となった。いわゆる数線陣地である。
 しかし数線陣地の考えは兵
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