王は梯隊をもって前進すべきを命じた。
墺軍は普軍の斜行前進によりその左翼を急襲せられ、その翼をロイテン東方に下げて普軍に対せんとしたのであるが普軍の猛烈果敢なる攻撃と適切なる砲火の集中により全く対応の処置を失い、たちまちにして潰乱するに到った。
本戦闘は午後一時より四時過ぎまで継続せられたがオーストリア軍の死傷は一万、砲百三十一門、軍旗五十五旒を失い、その捕虜は約一万二千に達した。本戦闘はフリードリヒ大王が三万五千の寡兵をもって六万四千の墺軍を撃破せる大王会戦中の傑作であって、兵力を一翼に集結し一挙に決戦を強要せる好範例である。
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 二、リーニー会戦
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一八一五年六月十五日オランダ国境を突破せるナポレオンはネー将軍に一部を授けて英軍に対せしめ、主力(七万三千)を率いて、ブリュッヘル軍を攻撃すべくリーニーに向い前進した。
ブリュッヘルは三軍団の兵力(八万一千)をもって、リーニー川の線に陣地を占領し、英将ウエリントンの来援を頼んでナポレオンと決戦せんと企図していた。
ナポレオンはフルイルース附近を前進中詳細なる偵察
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