希うためには最後の予備を中央後でなく、最外翼に保持せねばならぬ。将帥の慧眼が広茫数十里に至る波瀾重畳の戦場に於て決戦地点を看破した後、初めて予備隊を移動するが如き事は不可能である。予備隊は既に会戦のための前進に当り、脚下停車場より、更に適切に云えば鉄道輸送の時から該方面に指向せられねばならぬ」と言っており、この大軍の会戦への前進はモルトケ元帥の如く単に方針のみを与えて第一線司令官の自由に委せるのではなく、全軍あたかも大隊教練のように「眼を右、触接左」に前進すべき事を要求している。丁度フリードリヒ大王の横隊戦術を大規模にした観がある。
 第一次欧州大戦初期は前に述べたようにフランス軍の会戦方針はやや第二線決戦的色彩を帯びていたが(勿論徹底せるものではない)、独軍は第一線決戦主義が極めて明確である。シュリーフェン案の如く徹底したものではなかったが、兎に角独軍のベルギー侵入よりマルヌまでの作戦はあたかもロイテン会戦を大々的に拡大した観を呈している。
 ところが持久戦争に陥り戦線が逐次縦深を増して来るに従い、会戦指揮の方針は自然第二線決戦主義となって来た。局部的戦闘では奇襲に依り第一線決戦的に
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