大王は十三回の会戦中敗北三回で、十回の勝利のうち六回は優勢の敵を破り、一回といえども著しい優勢をもって戦った事はない。有名なロイテンの如きは二倍強、ロスバハは三倍の敵を撃破したのである。
 しかしかくの如き大勝も既に研究した如く持久戦争の時代に於ては、ナポレオンの平凡なる勝利の程にも戦争の運命に決定的影響を与え得なかったのである。消耗戦略、機動主義の必然がそこに存在したのである。
 フランス革命に依って散兵――縦隊戦術となると、この隊形は傭兵に馴致《じゅんち》せられた横隊戦術の矛盾を一擲して強靭性を増し、側面に対する感度を緩和した。会戦は自然に第二線決戦式となったのである。戦場に敵に優る強大な兵力を集結する戦術一般の原則が最も物をいう事となった。ナポレオンは三十回の会戦中二十三回は勝利を占め、うち十三回は著しい優勢をもって戦い、劣勢をもって勝ったのは僅かに三回でしかも大会戦と認むべきはドレスデンのみである。第一線決戦式に比し第二線決戦式は奇効を奏する事が比較的困難であり、ナポレオンの有名な会戦中マレンゴはあやしい勝利であり、特に代表的であるアウステルリッツ(第一線決戦)、イエナでも技術
前へ 次へ
全319ページ中244ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング