攻勢を比較するに当り、戦略上から云えば前者を有利と認めている。しかるにサンカンタン案をとったのは専ら戦術上の要求に依ると称している。
真に仏国に決戦を強いんとするならばサンカンタン附近を突破し、英仏軍を中断して運動戦に導き、敵主力を破る事が戦略上最も有利とする事は云うまでもない。
しかるにルーデンドルフは当時の独軍は既にかくの如き運動性を欠くと判断し、英軍を撃破して英仏海峡沿岸を占領するのが敵の抵抗を断念せしむる公算が大きいから、フランデルン攻勢は戦略上有利と主張したのである。ルーデンドルフは現実に決戦戦争は行なえぬものと考えていたのである。
三月攻勢の目標は英軍を撃破して英仏海峡に突進するにあった。それで仏軍に対しては攻勢の進展に伴いソンムの線を確保して左側を完全にする考えであった。しかるに攻勢初期は予期以上に好結果を得たので、ルーデンドルフは何時の間にやら最初の目標を変えてソンム南岸に兵を進め、更に大規模な作戦に転じようとしたのである。しかしながらこの攻勢は遂に頓挫してしまった。彼は後に、攻勢頓挫につき「運動戦に到達することが出来なかった」と云うておる。結局彼は英仏海峡にも達
前へ
次へ
全319ページ中227ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング