で攻囲し、更にその西南方地区より敵主力の背後に七個軍団を迂回して全仏軍を捕捉殲滅せんとするのである。殲滅戦の徹底と見るべきである。

     第八節 第一次欧州大戦
 ドイツで殲滅戦が盛んに唱道せられ、決戦戦争への徹底を来たしている時、日露戦争、南阿戦争は持久戦争の傾向を示したものであるが、それらは皆殖民地戦争のためと簡単に片づけられた。もちろん土地の兵力に対する広大と交通の不便が両戦争を持久戦争たらざるを得ざらしむる原因となったのであるが、両戦争を詳細に観察すれば正面突破の至難が観破せられる。これは欧州大戦の持久戦争となる予報であったのだ。ドイツはこの戦争の教訓に依り重砲の増加に努力した。着眼は良かったが、まだまだ時勢の真相を把握するの明がなかった。
 第一次欧州大戦開始せられると、殖民地戦争の経験に富むキチナー元帥は、戦争は三年以上もかかるように言うたのであるが、一般の人々は誰もが戦争は最短期間に終るものと考え、殊にドイツではクリスマスはベルリンでと信じ、軍隊輸送列車には「パリ行」と兵士どもが落書したのである。
 しかるに破竹の勢いでパリの前面まで侵入したドイツ軍はマルヌ会戦に破
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