れていなかったのである。大王は同地に止まって敵を待つ事が当時の用兵術としては最も穏健な策であったが(大王自身の反省)、軍事的に自信力を得た大王は更に南方に進み、墺軍の交通線を脅威して墺軍を屈伏せしめんとしたが、仏軍の無為に乗じて墺将カールはライン方面より転進し来たり、ザクセン軍を合して大王に迫って来た。カールの謀将トラウンの用兵術巧妙を極め、巧みに大王の軍を抑留し、その間奇兵を以て大王の背後を脅威する。大王が会戦を求めんとせば適切なる陣地を占めてこれを回避する。大王は食糧欠乏、患者続出、寒気加わり、遂に大なる危険を冒しつつ、シュレージエンに退却の余儀なきに至った。トラウンは巧妙なる機動に依り一戦をも交えないで大王に甚大なる損害を与え、その全占領地を回復したのである。
 外交状態も大王に利なく一七四四年遂に大王は戦略的守勢に立つの他なきに至った。そこで大王は兵力をシュワイドニッツ南方地区に集結、敵の山地進出に乗ずる決心をとった。敵が慎重な行動に出たならば大王の計画は容易でなかったと思われるが、大王は巧妙なる反面の策に依り敵を誘致し得て、六月四日ホーヘンフリードベルクの会戦となり大王の大勝
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