る私の天職に従い、恐らく今日は屍を馬革に包み得ていたであろう。しかるに私は入学試験に合格した。これには友人たちも驚いて「石原は、いつ勉強したか、どうも不思議だ」とて、多分、他人の寝静まった後にでも勉強したものと思っていたらしい。余り大人気ないので私は、それに対し何も言ったことはなかったが、起床時刻には連隊に出ており、消灯ラッパを通常は将校集会所の入浴場で聞いていた私は、宿に帰れば疲れ切って軍服のまま寝込む日の方が多かったのである。あのころは記憶力も多少よかったらしいが、入学試験の通過はむしろ偶然であったろうと思う。しかしこれは連隊や会津の人々には大きな不思議であったらしい。
 山形時代も兵の教育には最大の興味を感じていたのであるが、会津の数年間に於ける猛訓練、殊に銃剣術は今でも思い出の種である。この猛訓練によって養われて来たものは兵に対する敬愛の念であり、心を悩ますものは、この一身を真に君国に捧げている神の如き兵に、いかにしてその精神の原動力たるべき国体に関する信念感激をたたき込むかであった。私どもは幼年学校以来の教育によって、国体に対する信念は断じて動揺することはないと確信し、みずか
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