的に無力となり、少数の英人の支配に屈伏せざるを得ない状態となった。
 北種は元来、住みよい熱帯や亜熱帯から追い出された劣等種であったろうが、逆境と寒冷な風土に鍛錬されて、自然に科学的方面の発達を来たした。また農業に発した強い国家意義と狩猟生活の生んだ寄合評定によって、強大な政治力が養われ今日、世界に雄飛している民族は、すべて北種に属する。南種は専制的で議会の運用を巧みに行ない得ない。社会制度、政治組織の改革は、北種の特徴である。アジアの北種を主体とする日本民族の歴史と、アジアの南種に属する漢民族を主体とする支那の歴史に、相当大きな相違のあるのも当然である。但し漢民族は南種と言っても黄河沿岸はもちろんのこと、揚子江沿岸でも亜熱帯とは言われず、ヒマラヤ以南の南種に比べては、多分に北種に近い性格をもっている。
 清水氏は 『日本真体制論』に次の如く述べている。
「……寒帯文明が世界を支配はしたけれども、決して寒帯民族そのものも真の幸福が得られなかった。力の強いものが力の弱いものを搾取するという力の科学の上に立った世界は、人類の幸福をもたらさなかった。弱いものばかりでなくて、強いものも同時に不幸であった。本当を言うと、熱帯文明の方が宗教的、芸術的であって、人間の目的生活にそうものである。寒帯文明は結局、人間の経済生活に役立つものであって、これは人間にとって手段生活である。寒帯文明が中心となってでき上がった人間の生活状態というものは、やはり主客転倒したものである。……
 この二つのものは別々であってよいかと言うに、これは一つにならなければならないものである。インド人や支那人は、実に深遠な精神文化を生み出した民族であるが今日、寒帯民族のもつ機械文明を模倣し成長せしめることに成功していない。白色人種は、物質文化の行き詰まりを一面に於て唱えながらも、これを刷新せんとする彼らの案は、依然として寒帯文明の範疇を出ることができない。……
 とにかく、日本民族は明白に、その特色をもっているのである。この熱帯文明と寒帯文明とが、日本民族によって融合統一され、次の新しい人間の生活様式が創造されなければならない。どうも日本民族をおいて、他にこの二大文明の融合によって第三文明を創造しうる能力をもったものが、外にないと思われる。つまり、寒帯文明を手段として、東洋の精神文化を生かしうる社会の創造である
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