軸の二大陣営に対立しようとしている。準決勝の時期がそろそろ終ろうとするこの急テンポを、どう見るか。
 また統制主義を人類文化の最高方式の如く思う人も少なくないようであるが、私はそれには賛成ができない。元来、統制主義は余りに窮屈で過度の緊張を要求し、安全弁を欠く結果となる。ソ連に於ける毎度の粛清工作はもちろん、ドイツに於ける突撃隊長の銃殺、副総統の脱走等の事件も、その傾向を示すものと見るべきである。統制主義の時代は、決して永く継続すべきものではないと確信する。今日の世界の大勢は各国をして、その最高能率を発揮して戦争に備えるために、否が応でも、また安全性を犠牲にしても、統制主義にならざるを得ざらしめるのである。だから私は、統制主義は武道選手の決勝戦前の合宿のようなものだと思う。
 合宿生活は能率を挙げる最良の方法であるけれども、年中合宿して緊張したら、うんざりせざるを得ない。決戦直前の短期間にのみ行なわれるべきものである。
 統制主義は、人類が本能的に最終戦争近しと無意識のうちに直観して、それに対する合宿生活に入るための産物である。最終戦争までの数十年は合宿生活が継続するであろう。この点からも、最終戦争はわれらの眼前近く迫りつつあるものと推断する。
 第四問 東洋文明は王道であり、西洋文明は覇道であると言うが、その説明をしてほしい。
 答 かくの如き問題はその道の学者に教えを乞うべきで、私如きものが回答するのは僭越極まる次第であるが、私の尊敬する白柳秀湖、清水芳太郎両氏の意見を拝借して、若干の意見を述べる。
 文明の性格は気候風土の影響を受けることが極めて大きく、東西よりも南北に大きな差異を生ずる。われら北種は東西を通じて、おしなべて朝日を礼拝するのに、炎熱に苦しめられている南種は同じく太陽を神聖視しながらも、夕日に跪伏する。回教徒が夕日を礼拝するように仏教徒は夕日にあこがれ、西方に金色の寂光が降りそそぐ弥陀の浄土があると考えている。日蓮聖人が朝日を拝して立宗したのは、真の日本仏教が成立したことを意味する。
 熱帯では衣食住に心を労することなく、殊に支配階級は奴隷経済の上に抽象的な形而上の瞑想にふけり、宗教の発達を来たした。いわゆる三大宗教はみな亜熱帯に生まれたのである。半面、南種は安易な生活に慣れて社会制度は全く固定し、インドの如きは今なお四千年前の制度を固持して政治
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