軍の運動翼として第一ないし第三軍が仏第五軍及び英軍を包囲殲滅すべき態勢となった。
第一ないし第三軍を一指揮官により統一運用したならばあるいは国境会戦に更に徹底せる勝利となり、仏第五軍、少なくも英軍を捕捉し得たかも知れぬ。そう成ったならマルヌ会戦のため更に有利の形勢で戦わるる事であったろう。しかるに独大本営は自らこの戦場に進出し直接三軍を指揮統一することもなさず、第二軍司令官をして臨時三個軍を指揮せしめた。しかるに第二軍司令官ビューローは古参者であり皇帝の信任も篤い紳士的将軍であったが機略を欠き、活気ある第一軍との意見合致せず、いたずらに安全第一主義のために三軍を近く接近して作戦せんとし、遂に好機を失し敵を逸したのである。
ナポレオンの一八一二年の軍編制や運営につき深刻な研究をしていた独軍参謀本部は、一九一四年同じ失敗をしたのである。一八一二年はナポレオンとしては三軍の編成、その統一司令部の設置はかなり無理と言えるが、一九一四年は正しく右翼三軍の統一司令部を置くべきであり、万一置いてない時は大本営自ら第一線に進出、最も大切の時期にこの三軍を直接統一指揮すべきであった。
戦争の進むにつれて必要に迫られて方面軍の編成となったが、若しドイツが会戦前第一ないし第三軍を一方面軍に編成してあったならば、戦争の運命にも相当の影響を及ぼし得た事であったろう。現状に捉われず、将来を予見した識見はなかなか得られない事を示すとともに、その尊重すべきを深刻に教えるものと言うべきである。
第六章 将来戦争の予想
第一節 次の決戦戦争は世界最終戦争
かつて中央幼年学校で解析幾何の初歩を学んだ。数学の嫌いな私にもこれは大変面白く勉強出来た。掛江教官が「二元の世界すなわち平面に住む生物には線を一本書けばその行動を掣肘し得らるるわけだが、三元の世界即ち体に住む我らには線は障害とならないが、面で密封したものの中に入れられる時は全く監禁せられる。しかし四元の世界に住むものには我々の牢屋のようなものでは如何ともなし得ない」等という語を非常に面白く聴いたものである。
鎌倉に水泳演習の折、宿は光明寺で我々は本堂に起居していた。十六羅漢の後に五、六歳の少女が独りで寝泊りしていたが、この少女なかなか利発もので生徒を驚かしていた。ある夜の事豪傑連中(もちろん私は参加していない)が消灯後海
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