指導せらるる事もちろんであるが、それだけでは縦深の敵陣地帯を完全に突破する事は至難で、その後絶大なる予備隊の使用に依って会戦の決定を争う事になる。
ドイツが最後の運命を賭した一九一八年の攻撃は五回にわたって行なわれ、第五回目に敵の攻勢移転にあって脆くも失敗、遂に戦争の決を見るに至った。
普通に見れば一回の攻勢が一会戦とも言われるけれども、更に大観すれば三月から八月にわたる全作戦を一大会戦とも見ることが出来る。即ちドイツ軍は多数師団の大予備隊を準備し、数次にわたって敵の戦術的弱点を攻撃してなるべく多くの敵の予備隊を吸収(即ち個々の攻撃は全軍の見地からすれば一戦闘である)し、敵予備隊の消耗を計って敵が予備の貯え無くなった時、自分の方は未だ保存している強大なる予備隊に依って一挙に敵を突破する方式であったと見ることが出来る。独軍最高司令部は必ずしもそう考えていなかったし、各攻勢の間隔大に過ぎ(準備上短縮は不可能であったろう)て、敵に対応の準備を与え、敵も巧みに予備隊を再建し得て、独軍七月十五日の攻勢には既にその勢い衰えつつあったのに乗じ、全軍の指揮を一任せられたフォッシュ将軍の英断と炯眼《けいがん》によって独軍攻勢の側面を衝き、遂に攻守処を異にして連合軍勝利の基を開いたのである。固より独軍の全敗は国内事情によること最も大であるけれども、作戦方面から見れば仏軍があたかも火力をもって敵をいため、敵の勢力を消耗した好機に乗じ攻勢に転ずるいわゆる「火力主義の攻勢防禦」を大規模にした形で最後の勝利を得たのである。
[#底本239頁左上に地図あり]
第一線決戦の名手フリードリヒ大王の傑作ロイテンと第二線決戦の名手ナポレオンの傑作リーニーの両会戦につき簡単に述べて参考としよう。
一、ロイテン会戦
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ロスバハに仏軍を大いに破ったフリードリヒ大王は戦捷の余威を駆って一挙に墺軍をシュレージエンより撃攘せんとしブレスラウに向い転進した。十二月五日大王はジュミーデ山よりロイテン附近に陣地を占領せる敵軍を観察し、その左翼を攻撃して一挙に敵を撃破するの決心を固めた。
[#底本240頁に地図あり]
これがため大王は普軍の先頭がベルン村近くに到着せるとき、これを左へ転廻せしめ巧みに凹地及び小丘阜を利用しつつ我が企図を秘匿してロベチンス村に入り、横隊に展開せしめた。
午後一時大
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