の方針を決定す。
二、極めて有力なる予備隊を設く。
三、最後の衝撃を最も猛烈に行なう。
四、堅実にして偶然に支配せらるる事少なく兵力が最も重大なる要素なり。
[#ここで2段組、下段終わり]
[#ここで字下げ終わり]

     第二節 二種類に分るる原因
 1 武力の靭強性
 2 国民性および将帥の性格
 攻撃威力が強い、逆に防禦の能力の脆弱な戦闘、換言すれば勝敗の早くつく戦闘では自然第一線決戦主義が採用せらる。例えて言えば騎兵の密集襲撃のようなものである。これに反し防禦が靭強である時は急に勝負がつき難い。妄《みだ》りに猪突するは危険で第二線決戦主義が有利となる。それ故この二種類はその時代の軍隊の性格に依る事が最も多い。特に兵器が進歩して来れば来る程、国民性や将帥の性格の及ばす影響が小さくなるのは当然である。
 古代、兵器が極めて単純であった時代は、国民性の会戦指導要領に及ばす影響は比較的大であり得た訳である。ギリシャ人は強大な大集団を作りこれをファランクスと名付けた。この大集団に依る偉大な衝力に依り一挙に決勝を企図したのである。これに対しローマ人はレギオンと称し比較的小さな集団を編制した。これは行動の自由を利用して巧みに敵に損害を与え、敵を攪乱し、適時機を見て決戦を行なわんとするのである。すなわちギリシャ人は第一線決戦主義に傾き、ローマ人は第二線決戦主義を好んだのである。第一線決戦主義は理想主義的であり、第二線決戦主義は現実主義的である。
[#底本232頁右上に図あり]
 蓋《けだ》しギリシャ人は哲学や芸術に秀で、ローマ人は実業に秀でている民族性と会戦方式に相通ずるものが有るを見るであろう。
 田中寛博士の『日本民族の将来』に依れば、古代ギリシャ人は今日のギリシャ人と異なり北方民族であった。
 今日段々高度の武装をなし民族性の影響は昔日に比し大となり難いのであるが、第一次欧州大戦初期の両軍作戦を見るに、固より他にも色々の事情はあったであろうが、ローマ民族に近いフランスは第一第二軍をして先ず敵地に侵入せしめ後方に第四軍等を集結し、戦況に応じて主決戦場を決定せんとする態勢を整えているのに対し、ギリシャ人に近いドイツは主決戦場を右翼に決定、強大兵団をこの目的に応じて戦略展開を行ない、一挙に敵軍の左側背に殺到せんとしたのである。
 今日でもなお民族性が会戦指揮方針のみなら
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