た名称であり、軍事学の書籍がある叢書の中の数学の部門に収めらるるに至った。
ハインリヒ・フォン・ビューローは「作戦の目的は敵軍に在らずしてその倉庫である。何となれば倉庫は心臓で、これを破れば多数人の集合体である軍隊の破滅を来たすからである」と断定し、戦闘についても歩兵は唯射撃するのみ、射撃が万事を決する、精神上の事は最早大問題でないと称し、「現に子供がよく巨人を射殺することが出来る」と述べている。
かくて軍事界は全く形式化し、ある軍事学者は歩兵の歩度を一分間に七十五歩とすべきや七十六歩とすべきやを一大事として研究し「高地が大隊を防御するや。大隊が高地を防御するや」は当時重大なる戦術問題として議論せられたのである。
2、フランス革命に依る軍事上の変化
「最も暗き時は最も暁《あかつき》に近き時なり」と言ったフリードリヒ大王は一七八六年この世を去り、後三年一七八九年フランス革命が勃発したのである。
革命は先ず軍隊の性質を変ぜしめ、これに依って戦術の大変化を来たし遂に戦略の革命となって新しき戦争の時代となった。
3、新軍の建設
革命後間もなく徴兵の意見が出たが専制的であるとて排斥せられた。しかし列強の攻撃を受け戦況不利になったフランスは一七九三年徴兵制度を採用する事となった。しかもこれがためには一度は八十三州中六十余州の反抗を受けたのであった。
徴兵制度に依って多数の兵員を得たのみでなく、自由平等の理想と愛国の血に燃えた青年に依って質に於ても全く旧国家の思い及ばざる軍隊を編制する事が出来た。
新戦術
革命軍隊も最初はもちろん従来の隊形を以て行動しようとしたのであるが、横隊の運動や一斉射撃のため調練不充分で自然に止むなく縦隊となり、これに射撃力を与えるため選抜兵の一部を散兵として前および側方を前進せしむる事とした。即ち散兵と縦隊の併用である。
散兵や縦隊は決して新しいものではない。墺国の軽歩兵(忠誠の念篤いウンガルン兵等である)はフリードリヒ大王を非常に苦しめたのであり、また米国独立戦争には独立自由の精神で奮起した米人が巧みにこれを利用した。
しかし軍事界は戦闘に於ける精神的躱避《たひ》が大きいため単独射撃は一斉射撃に及ばぬものとしていた。
縦隊は運動性に富みかつ衝突力が大きいためこれを利用しようとの考えあり、現に七年戦争でも使用せられた事があり、その
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