と称しているが、戦争力の低下に従って止むなく逐次戦略を変換して来た。そして状況に応ずる如くその戦略を運用し、最悪の場合にも毅然として天才を発揮し、全欧州を敵として良く七年の持久戦争に堪えその戦争目的を達成した。それには大王の優れたる軍事的能力が最も大なる作用を為しているが、しかし良く戦争目的を確保し、有利の場合も悲境の場合も毫も動揺しなかった事が一大原因である事を忘れてはならぬ。持久戦争に於ては特に目前の戦況に眩惑し、縁日商人の如く戦争目的即ち講和条件を変更する事は厳に慎まねばならぬ。第一次欧州大戦ではドイツは遂に定まった戦争目的なく(決戦戦争より戦争に入ったため無理からぬ点が多い)、戦争後になって、戦争目的が論じられている有様であった。そしてこれが政戦略の常に不一致であった根本原因をなしている。

     第六節 ナポレオンの戦争
 フリードリヒ大王の時代よりナポレオンの時代へ
 1、持久戦争より決戦戦争へ
 十八世紀末軍事界の趨勢。
 七年戦争後のフリードリヒ大王の軍事思想はますます機動主義に傾いて来た。一般軍事界はもちろんである。
 一七七一年出版せられたフェッシュの『用兵術の原則および原理』には「将官たる者は決して強制せられて会戦を行なうようなことがあってはならぬ。自ら会戦を行なう決心をした場合はなるべく人命を損せざる事に注意すべし」とあり、一七七六年のチールケ大尉の著書には「学問に依りて道徳が向上せらるる如くまた学問に依り戦術は発達を遂げ、将軍はその識見と確信を増大して会戦はますますその数を減じ、結局戦争が稀となるであろう」と論じている。
 仏国の有名な軍事著述家でフリードリヒ大王の殊遇を受け、一七七三年には機動演習の陪観をも許されたGuibertは一七八九年の著述に「大戦争は今後起らぬであろう。もはや会戦を見ることはないであろう」と記している。七年戦争につき有名な著述をした英人ロイドは一七八○年「賢明なる将軍は不確実なる会戦を試みる前に常に地形、陣地、陣営および行軍に関する軍事学をもって自己の処置の基礎とする。この理を解するものは軍事上の企図を幾何学的の厳密をもって着手し、かつ敵を撃破する必要に迫らるる事無く戦争を実行し得るのである」と論じている。
 機動主義の法則を発見するを目的として地理学研究盛んとなり鎖鑰《さやく》、基線、作戦線等はこの頃に生れ
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