グレッツを占領し、夏にはオーデル河畔に進出を予期せねばならぬ。幸いロスバハ、ロイテンの戦果に依り英の態度積極的となり、仏に対する顧慮は甚だしく減少した。
しかし大王の戦力も大いに消耗、もはや大規模な攻勢作戦を許さない。またいたずらに守勢に立つは大王の性格これを許さぬ。ここに於て大王はなるべく遠く墺軍を支え、為し得ればこれに一撃を与え、露軍の近迫に際し動作の余地を有するを目的とし、四月中旬シュワイドニッツ攻略後主力をもってメーレンに侵入、オルミュッツ要塞を攻略するに決心した。あたかも一九一六年ファルケンハインのいわゆる「制限目的をもってする攻勢」であるベルダン攻撃に似ている。
五月二十二日から攻囲を開始したが、敵将ダウンの消耗戦略巧妙を極めて大王を苦しめ、六月三十日四千輛よりなる大王の大縦列を襲撃潰滅せしめた。大王は躊躇する事なく攻城を解き、八月初め主力をもってランデスフートに退却した。
露軍は八月中旬オーデル河畔に現われスウェーデン軍また南下し来たったので、大王は主力をもって墺軍に対せしめ、自ら一部をもって露軍に向い、八月二十五日ズォルンドルフ附近に於て露軍と変化多き激戦を交え、辛うじてこれを撃退した。大王の損害も大きかったが露軍は墺軍の無為を怒り、遠く退却して大王の負担を減じた。
墺軍主力はラウジッツ方面よりザクセンに作戦し、西南方より前進して来た帝国軍(神聖ローマ帝国に属する南ドイツ諸小邦の軍隊)と協力してザクセンを狙い、虚に乗じて一部はシュレージエンを攪乱した。大王は寡兵をもって常に積極的にこれに当ったが、ダウンの作戦また頗る巧妙で虚々実々いわゆる機動作戦の妙を発揮した。十月十四日大王はホホキルヒで敵に撃破せられたけれども大体に於て能《よ》く敵を圧し、遂にほとんど完全に敵を我が占領地区より駆逐して冬営に移る事が出来た。この戦は両将の作戦巧妙を極めたが、結局会戦に自信のある大王がよく寡兵をもって大勢を制し得たのである。
ニ、一七五九年
辛うじてその占領地を保持し得た大王も、昨年暮以来墺軍の防禦法は大いに進歩し、特に有利なる場合のほか攻撃至難となった旨を述べている。大王の戦力は更に低下して最早攻勢作戦の力無く、止むなく兵力を下シュレージエンに集結、敵の進出を待つ事となった。
六月末露軍がオーデル河畔に出て来るとダウンは初めて行動を起し、ラウジッツに出
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