を卑しんだ国民性の悩みは深刻である。我らは中国がこの際唐朝以前の古《いにしえ》に復《かえ》り正しき国民軍隊を建設せん事を東亜のために念願するのである。
 日本の戦国時代に於ける武士は日本国民性に基づく武士道に依って強烈な戦闘力を発揮したのであるが、それでもなお且つ買収行なわれ、当時の戦争はいわゆる謀略が中心となり、必要の前には父母兄弟妻子までも利益の犠牲としたのであった。戦国時代の日本武将の謀略は中国人も西洋人も三舎を避くるものがあったのである。日本民族はどの途にかけても相当のものである。今日謀略を振り廻しても成功せず、むしろ愚直の感あるは徳川三百年太平の結果である。
 2、攻撃威力が防禦線を突破し難き事
 如何に軍隊が精鋭でも装備その他の関係上防禦の威力が大きく、これが突破出来なければ決局決戦戦争を不可能とする。
 第一次欧州大戦当時は陣地正面の突破がほとんど不可能となり、しかも兵力の増加が迂回をも不可能にした結果持久戦争に陥ったのであった。戦国時代の築城は当時これを力攻する事困難でこれが持久戦争の重大原因となった。そこで前に述べた謀略が戦争の極めて有力な手段となったのである。
 3、軍隊の運動に比し戦場の広き事
 決戦戦争の名手ナポレオンもロシヤに対しては遂に決戦戦争を強いる事が出来なかった。露国が偉いのではない。国が広いためである。ナポレオンは決戦戦争の名手で数回の戦争に赫々たる戦果を挙げ全欧州大陸を風靡したが、海を隔てたしかも僅か三十里のドーバー海峡のため英国との戦争は十年余の持久戦争となったのである。但しこれはむしろ2項の原因となるべき点が多いが、その何れにしろ、日本はソ連に対しては決戦戦争の可能性が甚だ乏しい。
 広大なるアジアの諸国間に欧州に於けるように決戦戦争の可能性の少なかった事はアジアの民族性にも相当の影響を与えたものと私は信ずるものである。
 以上の原因の中3項は時代性と見るべきでない。ただし時代の進歩とともに決戦戦争可能の範囲が逐次拡大せらるる事は当然であり、前述の如く一根拠地の武力が全世界を制圧し得るまでに文明の進歩せる時、すなわち世界統一の可能性が生ずる時である。
 1項は一般文化と密に関係があり、2項は主として武器、築城に依って制約せらるる問題であって、歴史的時代性とやはり密な関係がある。
 以上綜合的に考える時は決戦戦争、持久戦争必ず
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