が、フランス革命以後は国民戦争となった。国民戦争に於ては中途半端の勝負は不可能である」との信念の下にルーデンドルフは回想録や「戦争指導と政治」の中に「敵国側の目的はドイツの殲滅にあるからドイツは徹底的に戦わねばならぬ」との意味を強調している。すなわちドイツ参謀本部は、戦争を十八世紀前のものと以後のものとに区別したが、戦争の性質に対する徹底せる見解を欠いていた。欧州大戦は既にナポレオン、モルトケ時代の戦争と性質を異にするに至った事を認識しなかった事が、第一次欧州大戦に於けるドイツ潰滅の一因と云われねばならない。
 支那に於ては唐朝の全盛時代に於て国民皆兵の制度破れ、爾来武を卑しみ漢民族国家衰微の原因となった。民国革命後も日本の明治維新の如く国民皆兵に復帰する事が出来ず、依然「好人不当兵」の思想に依る傭兵であり、十八世紀欧州の傭兵に比し遥かに低劣なものでその戦争に於ては武力よりも金力がものを言った。戦によって屈するよりも金力によって屈し得る戦に真の決戦戦争はあり得ない。かるが故に革命後の統一戦争が何時果つべしとも見えなかったのは自然である。私どもは元来民国革命に依り支那の復興を衷心より待望し、多くの日本人志士は支那志士に劣らざる熱意を以て民国革命に投じたのであった。しかるに革命後も真の革新行なわれず、軍閥闘争の絶えざるを見て「自ら真の軍隊を造り得ざる処に主権の確立は出来よう筈は無い。支那は遂に救うべからず」との結論に達したのであった。勿論あの国土厖大な支那、しかも歴史は古く、病膏肓に入った漢民族の革命がしかく短日月に行なわれないのは当然であり、私どもの判断も余りに性急であったのであるが、一面の真理はこれを認めねばならない。劣悪極まる軍隊の結果は個々の戦争を金銭の取引に依り決戦戦争以上の短日月の間に解決せらるる事もあったけれども、それは戦争の絶対性を欠き、その効力は極めて薄弱にして間もなく又戦争が開始せられ、慢性的内乱となったのである。
 孫文、蒋介石に依り革命軍の建設は軍隊精神に飛躍的進歩を見、国内統一に力強く進んだのは確かに壮観であり我らの見解に修正の傾向を生じつつあったのである。しかも中国の統一はむしろ日本の圧迫がその国民精神を振起せしめた点にある。支那事変に於てはかなり勇敢に戦ったのであるがこの大戦争に於てすらもなお未だ真の国民皆兵にはなり難いのである。数百年来武
前へ 次へ
全160ページ中84ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング