信ずる。これは信仰の統一、武力の発達の間に自然に行なわるる事であろう。

     第二節 戦争史の方向
 戦争は人類文明の綜合的運用である。戦争の進歩が人類文明の進歩と歩調を一にしているのは余りに自然である。
 武力の発達すなわち戦争術の進歩が人類政治の統一を逐次拡大して来た。世界の完全なる統一すなわち戦争の絶滅は戦争術がその窮極的発達に達した時に実現せらるるものと考えねばならぬ。この見地よりする戦争の発達史および将来への予見が本研究の眼目である。
 戦闘は軍事技術の進歩を基礎として変化して来た。また国軍が逐次増加し、それに伴ってその編制も大規模化されて来た。こういうものは一定方向に対し不断の進歩をして来ているのである。
 しかるにその国軍を戦場で運用する会戦(会戦とは国軍の主力をもってする戦闘を云う)はこれを運用する武将の性格や国民性に依って相当の特性を認めらるるけれども、軍隊発達の段階に依って戦闘に持久性の大小を生じ、自然会戦指揮は或る二つの傾向の間を交互に動いて来た。また武力の戦争に作用し得る力もまた歴史の進展過程に於て消極、積極の二傾向の間を交互し、決戦戦争、持久戦争はどうも時代的傾向を帯びている。
 以上の見地から戦闘法や軍の編制等が最後的発達を遂げ、会戦指揮や戦争指導が戦争本来の目的に合する武力本来価値の発揮傾向に徹底する時、人類争闘力の最大限を発揮する時であって、これが世界統一の時期となり、永久平和の第一歩となる事と信ぜられる。

     第三節 西洋戦史に依る所以
 この研究は主として西洋近世戦史に依る。
 第二篇に於て述べたように私の軍事学の研究範囲は極めて狭く、フリードリヒ大王、ナポレオンを大観しただけと云うべく、それもやっと素材の整理をした程度である。東洋の戦史については真に一般日本人の常識程度を越えていないために、この研究は主として西洋の近世史を中心として進められたのである。誠に不完全な方法であるが、しかし戦争はどうも西洋が本場らしく、私が誠に貧弱なる西洋戦史を基礎として推論する事にも若干言い分があると信ずる。
 今日文明の王座は西洋人が占めており、世界歴史はすなわち西洋史のように信ぜられている。しかしこれは余りにも一方に偏した観察である。西洋文明は物質中心の文明で、この点に於て最近数世紀の間西洋文明が世界を風靡しつつあるは現実であるが、
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