私どもは人類の綜合的文明はこれから大成せらるべくその中心は必ずしも西洋文明でないと確信する。
東洋文明は天意を尊重し、これに恭従である事をもって根本とする。すなわち道が文明の中心である。
西洋人も勿論道を尊んでおり、道は全人類の共通のものであり、古今に通じて謬《あやま》らず、中外に施して悖《もと》らざるものである。しかも西洋文明は自然と戦いこれを克服する事に何時しか重点を置く事となり、道より力を重んずる結果となり今日の科学文明発達に大きな成功を来たしたのであって、人類より深く感謝せらるべきである。しかしこの文明の進み方は自然に力を主として道を従とし、道徳は天地の大道に従わん事よりもその社会統制の手段として考えられるようになって来たのでないであろうか。彼らの社会道徳には我らの学ぶべき事が甚だ多い。しかし結局は功利的道徳であり、真に人類文明の中心たらしむるに足るものとは考えられぬ。
東洋が王道文明を理想として来たのに自然の環境は西洋をして覇道文明を進歩せしめたのである。覇道文明すなわち力の文明は今日誠に人目を驚かすものがあるが、次に来たるべき人類文明の綜合的大成の時には断じてその中心たらしむべきものではない。
戦争についてもその最も重大なる事すなわち「戦」の人生に於ける地位に関して王道文明の示すところは、私の知っている範囲では次のようなものである。
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1 三種神器に於ける剣。
国体を擁護し皇運を扶翼《ふよく》し奉る力、日本の武である。
2 「善男子正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せずして刀剣|弓箭鉾槊《きゅうせんぼうさく》を持すべし。」
「五戒を受持せん者あらば名づけて大乗の人となすことを得ず。五戒を受けざれども正法を護るをもって乃ち大乗と名づく。正法を護る者は正に刀剣器杖を執持すべし。」(涅槃経)
3 「兵法|剣形《けんぎょう》の大事もこの妙法より出たり。」(日蓮聖人)
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このような考え方は西洋にあるか無いかは知らないが、よしんばあっても今日の彼らの文明に対しては恐らく無力であろう。戦争の本義はどこまでも王道文明の指南に俟《ま》つべきである。しかし戦争の実行は主として力の問題であり、覇道文明の発達せる西洋が本場となったのは当然である。
近時の日本人は全力を傾注して西洋文明を学び取
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