のように考える向きもあったらしいが、断じてそんなことはあり得ない。いやしくも軍人がお勅諭を駆引に用いることがあり得るだろうか。
 世はいよいよ国防国家の必要を痛感して来た。国防国家とは軍人の見地から言えば、軍人が作戦以外のことに少しも心配しなくともよい状態であることで、軍としては最も明確に国家に対して軍事上の要求を提示しなければならない。私は世人の誤解に抗議するとともに、私のこの態度だけは、わが同僚並びに後輩の諸君に私のようにせられることを、おすすめするものである。
 私は一試案を作ってそれに要する戦費を、その道に明るい一友人に概算して貰った。友人の私に示した案は私の立案の心理状態と同一で、どうやら内輪に計算されているらしい。
 私の考えでは軍は政府に軍の要求する兵備を明示する。政府はこの兵備に要する国家の経済力を建設すべきである。しかし当時の自由主義の政府は、われらの軍費を鵜呑みにしてもこれに基づく経済力の建設は到底、企図する見込みがないところから、軍事予算は通過しても戦備はできない。考え抜いた結果、何とかして生産力拡充の一案を得て具体的に政府に迫るべきだと考え、板垣関東軍参謀長と松岡満鉄総裁の了解を得て、満州事変前から満鉄調査局勤務のため関東軍と密接な連絡があり事変後は満鉄経済調査会を設立した宮崎正義氏に、「日満経済財政研究会」を作ってもらい、まず試みに前に述べた私案に基づき日本経済建設の立案をお願いしたのである。誠に無理な要求であり、立案の基礎条件は甚だ曖昧を極めていたにかかわらず、宮崎氏の多年の経験と、そのすぐれた智能により、遂に昭和十一年夏には日満産業五個年計画の最初の案ができたのである。真に宮崎氏の超人的活動の賜物である。この案はもちろん宮崎氏の一試案に過ぎないし、その後、軍備の大拡充が行なわれた結果、日本の生産拡充計画も自然大きくなったことと信ずるが、いずれにせよ宮崎氏の努力は永く歴史に止むべきものである。宮崎氏は後に参謀本部嘱託となり幾多の有益な計画を立て、国策の方向決定に偉大な功績を樹てられたことと信ずる。
 この宮崎氏の研究の要領を聴き、私も数年前自由主義時代・帝政ロシヤ崩壊時代に、「百万の軍隊を動かさざるべからずとせば日本は破産の外なく……」と日本の戦争力を消極的に見ていた見地を心から清算した。即ち日本は断固として統制主義的建設により、東亜防衛
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