の信者として、聖人の予言を確信するものであり、この信仰を全国民に伝えたい熱望をもっている。しかし「最終戦争論」が決して宗教的説明を主とするものでないことは、少しく丁寧に読まれた人々には直ちに理解されることと信ずる。この論は私の軍事科学的考察を基礎とするもので、仏の予言は政治史の大勢、科学・産業の進歩とともに、私の軍事研究を傍証するために挙げた一例に過ぎない。
 私の軍事科学の説明が甚だ不十分であることは、固より自認するところである。しかしかくの如き総合的社会現象を完全に科学をもって証明することは不可能のことである。科学的とみずから誇るマルクス主義に於てすら、資本主義時代の後に無産者独裁の時代が来るとの判断は結局、一つの推断であって、決して科学的に正確なものとは言えない。この見地に立てば、不完全な私の最終戦争必至の推断も相当に科学的であるとも言い得るではなかろうか。日本の知識人は今日まで軍事科学の研究を等閑にし、殊に自由主義時代には、歴史に於て戦争の研究を、ことさらに軽視していた。戦争は人類の有するあらゆる力を瞬間的に最も強く総合運用するものであるから、その歴史は文明発展の原則を最も端的に示すものと言うべきである。また戦争は多くの社会現象の中で最も科学的に検討し易いものではなかろうか。
 近時、宗教否定の風潮が強いのに乗じ、「『最終戦争論』に予言を述べているのは穏当を欠く。予言の如きは世界を迷わすものである」と批難する人が多い由を耳にする。人智がいかに進んでも、脳細胞の数と質に制約されて一定の限度があり、科学的検討にも、おのずから限度がある。そしてそれは宇宙の森羅万象に比べては、ほんの局限された一部分に過ぎない。宇宙間には霊妙の力があり、人間もその一部分をうけている。この霊妙な力を正しく働かして、科学的考察の及ばぬ秘密に突入し得るのは、天から人類に与えられた特権である。人もし宇宙の霊妙な力を否定するならば、それは天御中主神の否定であり、日本国体の神聖は、その重大意義を失う結果となる。天照大神、神武天皇、釈尊の如き聖者は、よく数千年の後を予言し得る強い霊力を有したのである。予言を批難しようとする科学万能の現代人は、「天壌無窮」「八紘一宇」の大予言を、いかに拝しているのか。皇祖皇宗のこの大予言は実にわれらが安心の根底である。
 第十五問 産業大革命の必然性についての説明が
前へ 次へ
全160ページ中55ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング