しば》の見える口元も弛《ゆる》んで、浮いた調子の駄洒落などを言って独りで笑いこけていた。お銀の体には、酒を飲むと気の浮いて来る父親の血が流れているらしかった。
「女の酒は厭味でいけない。」
 時々顔を顰《しか》める笹村も、飲むとどこか色ッぽくなる女を酔わすために、自分でわざと飲みはじめることもあった。
 外が鎮まると、奥の話し声が一層耳について来た。女が台所へ出て、酒の下物《さかな》を拵えている気勢《けはい》もした。
 厠《かわや》へ立つとき、笹村は苦笑しながらそこを通った。女はうつむいて、畳鰯《たたみいわし》を炙《あぶ》っていたが、白い顔には酒の気があるようにも見えなかった。
「K―さんにお自惚《のろけ》を聴かされているところなんですの。どうしてお安くないんですよ。」お銀は沈んだような調子で言った。
 痛い頭を萎《な》やそうとして、笹村は机を離れてふと外へ出て見た。そして裏の空地を彷徨《ぶらぶら》して、また明るい部屋へ戻って見た。K―はまだちびりちびり飲み続けていた。そのうちに女は裏の木戸を開けて、ざくざくした石炭殻の路次口から駒下駄《こまげた》の音をさせて外へ出て行った。向うの酒屋へ酒を買いに行くらしかった。
「おい、少し静かにしないか。」
 大分たってから、たまりかねたように、笹村が奥へ大声で叫んだ。
 茶の室《ま》はひっそりしてしまった。

     十三

「そんなにお耳に障《さわ》ったんですか。だってK―さんがせっかくお酒を召し食《あが》っていらっしゃるのに、厭な顔も出来ないもんですから。」
 心持のゆったりしたようなK―が、間もなく黙って帰って行ってから、お銀は何気なげに遠くの方で言った。後で気のついたことだが、ちびりちびり酒を飲みながら、自惚《のろけ》まじりのK―の話のうちには、女を友達から引き離そうとするような意味も含まれてあった。それが今の場合K―自身として、笹村を救う道だと考えていたらしかった。以前下宿をしていた家の軍人の未亡人だという女主《おんなあるじ》と出来合っていたK―は、ほかにも干繋《かんけい》の女が一人二人あった。その晩もK―は、子まで出来た間《なか》を別れてしまった女のことを虚実取り混ぜて話していた。同じような心の痛みのまだどこかに残っている女は、しみじみした淡い妬《ねた》みの絡《まつ》わりついたような心持でそれに聴き惚《ほ》れてい
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