らいいだろう。工面のよい商人か、請負師とでも一緒になって、姐《あねえ》とか何とか言われて、陽気に日を送っていた方が、どのくらい気が利いてるか知れやしない。箱屋をしたって、立派に色男の一人ぐらい養って行けるぜ。その代り、子供は己が、お前の後日の力になるように仕立てておいてやる。そしてお前の入用な時いつでも渡してやる。子供がお前の言うことを聴くか、どうか、それは己にも解らんがね。」
笹村のそう言うたびに、お銀は聴かない振りをしていた。
子供が電車通りで逢ったという男のことを、笹村はちょいと考えがつかなかった。
「どんな人……。」と言って、知っている人の名を挙げてみたが、やっぱり解らなかった。
「その人がね、お父さんのことを言っていたよ。」
子供はうつむきながら言った。
その男が磯谷であったことが、じきお銀の話で知れた。
「まるで本郷座のようでしたよ。私ほんとうに悪かった。これから妹と思って何かのおりには力になるからなんて、そう言って……。」と、お銀はその時の様子を笑いながら話した。
七十六
夏の初めに、何や彼やこだわりの多い家から逃れ、ある静かな田舎の町の旅籠屋《はたごや》の一室に閉じ籠った時の笹村の心持は、以前友達から頼まれた仕事を持って、そこへ来た時とはまるで変っていた。
その町は、日光へも近く、塩原へもわずか五時間たらずで行けるような場所であったが、町それ自身には、旅客の足を留める何物もなかった。家を飛び出した時の笹村は、そこの退屈さを考えている遑《いとま》もないほど混乱しきっていた。それに適当な場所へ行くような用意ももとよりなかった。笹村は何かなし家と人から逃れて、そんなに東京からの旅客に慣らされていないような土地へ落ち着いて、静かに何かを考え窮めて見たかった。
その前から、笹村はどうかすると家を飛び出しそうにしては、お銀や老人《としより》に支えられてしまった。春から夏へかけての笹村の感情は、これまでにも例のないほど荒《すさ》んでいた。自分の健康や世帯の苦労と、持っていた家をまた畳まなければならなかった弟や、そこへ行っていた母親についての心配とで、毎日溜息ばかり吐《つ》いているようなお銀の顔を見るのも苦しかったが、そうした波動の始終自分の頭に響いて来るのも厭であった。何事も隠そうとしているお銀の調子は、二人を一層打ち釈《と》けることの
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