、浅草の区役所の裏の方だそうですよ、退院したら、きっと遊びに来てくれなんてね、莫大小《メリヤス》の工場なんかもってかなり大きくやっているらしいんですよ。あんなお世辞気のない人ですけれど、どことなく好いたような気象の人ですの。私の顔さえみるといろいろなことを話しかけて、先方《むこう》でも私のことをそう言うんですよ。」
 お銀はその病室から、そのころ出たての針金を縮ませて足を工夫した蜘蛛《くも》や蛸《たこ》の翫具を持って来て、それを床の上にかけわたされた糸に繋《つな》いだ。
 退屈がっている正一は、しばらくのまもお銀を傍から放さなかった。お銀は子供の寝息を窺《うかが》って、やっと手洗《ちょうず》をつかいに出たり厠《かわや》へ行ったりした。
「ちっと二階へでもあがって見ましょうね。そうしたら少しは気がせいせいしていいかも知れない。二階からは坊やの大好きな電車が見えてよ。」
 お銀はそう言って、正一を負《おぶ》い出した。そして次の女の子を負っている女中と一緒に、二階の廊下へ出て窓から外を眺めさせた。子供は少し見ていると、もうじきに飽いて来た。
 病室に飽きの来た笹村は、時々家へ来て、明け払ったような座敷の真中に、疲れた体を横たえた。庭には松や柘榴《ざくろ》の葉が濃く繁って、明るい小雨がしとしとと灑《そそ》いでいた。長いあいだ病室に閉じ籠って、どうかするとルーズになりがちな女のすることに気を配ったり、自身に夜昼体を働かして来たことが振り顧《かえ》られた。笹村は、始終苦しい夢に魘《うな》されているようであった。
 綺麗に取り片着けられた机のうえに二、三通来ている手紙のなかには、甥が報じてやったまだ見ぬ孫の病気を気遣って、長々と看護の心得など書いてよこした老母の手紙などがあった。手紙の奥には老母の信心する日吉《ひよし》さまとかの御洗米が、一ト袋|捲《ま》き込まれてあった。老母は夜の白々あけにそこへ毎日毎日孫の平癒《へいゆ》を祈りに行った。
 それを読んでいる笹村の目には、弱い子を持った母親の苦労の多かった自分の幼いおりのことなどが、長く展《ひろ》がって浮んだ。同じ道を歩む子供の生涯《しょうがい》も思いやられた。そうしていつかは行き違いに死に訣《わか》れて行かなければならぬ、親とか子とか孫とかの肉縁の愛着の強い力を考えずにはいられなかった。

     七十一

 刺身だとか、豆腐
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