に花などを引いて遊ぶことになっていたが、その日は顔を出さずにしまった。そして茶の室《ま》で二人の話したり笑ったりしている声が、一層寝起きの笹村の頭をいらいらさせた。
 大分たってから、笹村はちょうど訪ねて来た深山と一緒に、どこという的《あて》もなしに町をぶらついていた。町にはどんよりした薄日がさして、そよりともしない空気に、羅宇屋《らうや》の汽笛などが懈《だる》げに聞え、人の顔が一様に黄ばんで見えた。
「どこへ行こうかな。」
「三崎町へ行って一幕見でもしようか。」
 二人はそんなことを呟きながら、富坂の傍にある原ッぱのなかへ出て来た。空には蜻蛉《とんぼ》などが飛んで、足下《あしもと》の叢《くさむら》に虫の声が聞えた。二人は小高い丘のうえに上って、静かな空へ拡がって行く砲兵工廠《ほうへいこうしょう》の煙突の煙などをしばらく眺めていた。
 笹村の苦しい頭には、何の拘束もなしに、おりおりこうして二人一緒にそこら中を歩いた時の記憶が閃《ひらめ》いていた。笹村はよく劇場や食物屋のような賑やかな場所へ二人で入って行って、自分の寂しさを忘れようとした。今の苦しさもその時の寂しさと変りはなかった。
 しゃがんで莨《たばこ》をふかしながら、笹村は自分と妻の性格の矛盾などを語り出した。深山はそれを軽く受け流していた。
「多少の犠牲を払うことぐらいはしかたがないとしておかなけア……君の心持で細君を教養するよりほかないだろう。世間には、細君を同化して行く例がいくらもあるんだからね。」
 笹村にはそんな器用な真似の出来ないことは、そういう深山にも解っていた。
「あの当時もそういうことはF―なども言っていたさ。」深山は言い足した。「君はとてもあの女を制御し得まいってことをね……。」
 F―というのは、そのころ二人の間を往来していた文学志望の一青年であった。笹村はその当時の傍観者の一部の風評が、それで想像できるような気がした。
 一ト幕ばかり芝居の立ち見をして、家へ帰った時には、笹村の頭は前よりも一層|攪《か》き乱されたような状態にあった。
「おいおい。」
 笹村は薄暗い部屋のなかへ入って行くと、いきなり奥へ声をかけた。奥からは子供がひょこひょこ出て来たが、父親のむずかしげな顔色を気取ると、じきに顔を赧《あか》らめて出て行った。
 笹村はお銀を呼びつけて、また同じような別れ談《ばなし》を繰り返し
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