分その亭主の手に殺されて、血反吐《ちへど》を吐きながら、お銀の家の門の前にのめって死んでいたという出来事があってからであった。その血痕《けっこん》のどす黒い斑点《まだら》が、つい笹村の帰って来る二、三日前まで、土に染《し》みついていた。
女はこの界隈《かいわい》を、のたうち廻ったものらしく、二、三町隔たった広場にある、大きな榎《えのき》の下に、下駄や櫛《くし》のようなものが散っていた。自身に毒を服《の》んだという話もあった。
お銀は床のなかで、その女が亭主に虐待されていたという話をして、自分の身のうえのことのように怯《お》じ怕《おそ》れた。お銀の一時片づいていた男が、お銀に逃げ出されてから間もなく、不断から反《そ》りの合わなかった継母を斬《き》りつけたということは、お銀の頭にまた生々しい事実のように思われて来た。男はその時分、どんなに血眼《ちまなこ》になって仲人の手からうまく逃れた妻を捜しまわっていたか。毎日酒ばかり呷《あお》って、近所をうろつき廻っていた男の心が、どんなに狂っていたか、それは聞いている笹村にも解った。
「あなたと一緒に歩いている時、いつか菊坂の裏通りで出会《でくわ》したじゃありませんか。あれがそれですよ。」
「へえ。」
笹村はその時お銀が、ふいと暗闇で摺《す》れ違った男のあったことだけは、今でも思い出せたが、お銀がその時泡を喰って、声を立てながら笹村の手に掴まったのは、わざとらしいこの女の不断の癖だろうと考えていた。お銀はその時、はっきりその男をそれと指ざすほど笹村に狎《な》れていなかった。その晩はしょぼしょぼ雨が降っていたが、男は低い下駄をはいて、洋傘《こうもり》をさしながら、びしょびしょ濡れていた。
「あれがそうですよ。お銀って、私の名を呼びましたわ。」
「へえ。」
「あの時あなたがいなかったら、私はどうかされていたかも知れないわ。それは乱暴な奴なんです。酒さえ飲まなければ、不断はごく気が小さいんですけれどね。」
その家のことについて、新しい事実がまたお銀の口から話し出された。
「……私行った時から厭で厭で、どうしても一緒にいる気はしなかった。日が暮れると、裏へ出てぼんやりしていましたよ。裏は淋しい田圃に、蛙が鳴いてるでしょう。その厭な心持といったら……私泣いていたわ。そして何かといっちゃ、汽車に乗って逃げて来たの。」
「その家を、僕は
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