「いやだね。この子は、色気がついたんだよ。」お増は眉をしかめた。
「嘘よ。」
「旦那に、何か揶揄《からか》われたんだろ。」
お増は苛《いじ》めて見たいような気がしたが、お今のけろりとしているのが、張合いがなかった。
三十四
一時ごろに、浅井が腕車《くるま》で帰って来るまで、お増は臥床《ねどこ》に横になったり、起きて坐ったりして待っていた。時々下の座敷へも降りて見た。つい先刻《さき》ほどまで、このごろ静子と一緒に寝ることになっているお今が、枕頭《まくらもと》に明りをつけて、何やら読んでいたのであったが、それもそのころにはもう深い眠りに陥ちていた。
宵にお今が話しかけたことを、お増は二度も訊いて見たが、ふいと子供らしい無邪気さから、大人のような取り澄ました態度に変る癖のあるお今は、「つまらないことなの。」と言ったきりで、何にも話さなかった。お今は一通り家政科に通じてから、帰って行くことになっている、自分の田舎で生活したものか、それとも好きな東京で暮したものかと、時々それをお増などに相談するのであったが、結婚とか独立生活とかいうことについても、自分自身の心持がかなり混乱しているらしかった。
「旦那に相談して、いいお婿さんを世話してもらったらいいじゃないの。」
お増はそのたびに、無造作にそう言った。
「伎倆《はたらき》のある商人か、会社員がいいよ。男ぶりなどはどうでもいいのよ。」
お増はそうも言ったが、最初たよって来た時から見ると、お今の心が大分自分から離れていることなどが、お増にもちらちら感ぜられた。自分の家のような心易さで、お互いに往来《ゆきき》のできそうなお今の家庭が、自分の思いどおりに作られそうもないことが寂しくもあり安易でもあった。
「だんだん生意気になりますよ。」
お増は夫婦でお今の噂をしている折々などに、浅井に話したが、笑って聞いている浅井はそれを受け入れそうにも見えなかった。
「あなたがちやほやするから、なおさらなんですよ。」
「まさか。世間がそうなんだよ。」
「あなたはやっぱり若い女がいいものだから。」
浅井はにやにやしていた。
「だから、いい加減に田舎へ還《かえ》す方がいいんですよ。せっかく世話して、喧嘩《けんか》でもしちゃつまらないから。きっとそうなりますよ、終《しま》いには……。」
「それもよかろう。」
浅井は争いもしなかったが、お今を排斥することは、お増にも心寂しかった。後から後からと、機嫌を取って行く、お今の罪のない様子が、可愛くも思われた。
「そんな深い考えも持ってやしないよ。」
お増が少し悔いたような時に、浅井の言い出す言葉が、男だけに大様《おおよう》だとも感心されるのであった。
玄関へあがって来た浅井は、どこか落着きがなかった。酒の気のある顔の疲れが、お増の一瞥《ひとめ》にも解った。
「ちと早いじゃないか。」
浅井は火の気のまだ残っている火鉢の前に坐ると、言い出した。このごろちょいちょい逢っている女の家で、今日もそれらの人たちに取り捲かれて花などを引いて夜を更かしたのであったが、この三、四日の遊びに浸っていた神経が、興奮と倦怠《けんたい》とに疲れていた。お今の若々しい束髪姿が、そんな時の浅井の心に、悪醇《あくど》い色にただれた目に映る、蒼いものか何ぞのように、描かれていた。
「己は少《わか》い女は嫌いだよ。」
何か言い出すお増に、始終そう言っていた浅井の頭脳《あたま》に、お今のことが、時々考えられた。
三十五
猫板《ねこいた》のうえで、お増が途中から買い込んで来た、苦い羊羹《ようかん》などを切って、二人は茶を飲みながら、ぼそぼそ話していたが、すぐにそこらを片着けて二階へ上って行った。
「あんなものに手を出すなんて、あの爺さんもよっぽど焼きがまわっているんですよ。」
召使いの少女が妊娠したという、根岸の隠居の噂が、生欠《なまあくび》まじりに浅井の口から話された時、お増はそう言って眉を顰めた。夜更けて馴染みの女から俥に送られて帰って来た良人《おっと》と、しばらくぶりでそうして話しているお増の心には、以前自分のところへ通って来る浅井を待ち受けた時などの、焦燥《いらいら》しさがあった。
東京近在から来ている根岸の召使いを、お増も一、二度見かけたことがあった。女の身元保証人になっている、女の伯父《おじ》だという男から持ち込まれた難題に、お爺さんも妾のお芳も蒼くなっていた。それを浅井が間《なか》へ入って、綺麗に話をつけてやったのであった。女には、別に男のあるらしいことが、じきに浅井の目に感づかれた。浅井は商業に失敗して、深川の方に逼塞《ひっそく》しているその伯父と一度会見すると、こっちから逆捻《さかね》じを喰わして、少しの金で、事件の片がぴたりついてしま
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