ころであった。どこかとそんな契約が成り立ったと見えて、お雪は身装《みなり》なども比較的綺麗であった。新調のコートや傘なども、お増の目を惹いた。お増は、「この人はいつまでこんな気楽をいっているのだろう。」と、いつもお雪について考えるようなことを、その時もつくづく考えさせられたのであったが、気心に少しの変化もみえないお雪には、それを得意がっているような様子もあった。
「それで、私の出しものが阿古屋《あこや》なんですと。」
お増は阿古屋が何であるか、よくも知らなかった。
「へえ、そんなものが出来るの。」
「どうせ真似事さ。ことによったら、それを持って北海道の方へ廻るかも知れないのよ。そうすれば、お金がどっさり儲《もう》かるから、その時は借りたお金を、あなたにもお返しするでしょうよ。」
そう言って出て行ったきり、お雪からは何の消息《たより》もないのであった。いつまでたっても、頭の上りそうもない芸人などにくっついて、うかうかと年の老《ふ》けて行くお雪の惨《みじ》めさが、情なくも思えるのであったが、気のくさくさするような時には、寸時もお雪のような心持ではいられない苦労性の自分が、窮屈でもあった。
「あの人|終《しま》いに、野仆死《のたれじに》でもしやあしないかしら。」
お増は時々浅井と、お雪の噂をしていたが、いろいろの女に心の移って行く男一人に縋《すが》っている自分の成行きも、思って見ないわけに行かなかった。
「まだ、そんなことを思っているのかい。」
そうなる時の自分の行く末のために、金や品物などを用意することを怠らぬらしい、お増の箪笥の着物や、用箪笥の貯金の通帳などの目に入るたんびに、浅井はそういって、不断は苦笑していたが、嫉妬《やきもち》喧嘩の時などには、忌々《いまいま》しげにそれが言い立てられた。
しかし仲のいい時に、そんな金がまたいつか、その時々の都合で浅井の方へ融通されていた。
「また旦那に取られてしまった。」
お増は後でハッと思うようなことがあったが、その場合には、やっぱり隠し立てをすることが出来なかった。
静子をつれて、一日外を遊び歩いていると、家を出るとき感じていたような、お今に対する憎しみの念が、いつか少しずつ淋しいお増の胸に融《と》けて行かないではおかなかった。
神田の店はだんだん繁昌《はんじょう》していた。
お芳の若やいで来た顔の色沢《いろつや》が、お増にはうらやましいようであった。茶の間へ坐り込んで、厭な内輪ばなしなどに※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]《とき》を移していたお増は、行った時とは、まるで別の人のような心持で、電車に乗った。
四十九
お増は、浅井がもう帰っている時分だと思うと、電車のなかでも気が急《せ》くのであったが、隠居にいわれたことなどが、繰り返し考え出された。
「今のうちにお今さんを、どこかへ出しておしまいなさい。ことによったら、当分のうちどこぞ私の親類へお預かりしてもようがすよ。」
隠居は相変らず、酒気を帯びた顔を振り立てて言ってくれたのであった。
そんなことには何の意見も挟《はさ》まないお芳は、時々顔を赧《あか》らめて、お増の話に応答《うけこたえ》をしていた。
「お今さんも可哀そうですな。お婿さんが欲しいでしょうに、その金満家の子息《むすこ》さんと、一緒にしてあげたらどうです。」
お増は退《ど》けてしまってからの、若い女の体の成行きも考えてやらないわけに行かなかった。自分の良人のしたことを、田舎のお今の兄などに、知られるのも厭であった。単純に、二人の所業を憎んでばかりもいられないと思った。
灯影のちらちらする町や、柳の青い影が、暗い思いを抱いているお増の目の前を、電車の進行と一緒に、夢のように動いて行った。窓からは、夏の夕らしい涼しい風が吹き込んで、萎《な》えたような皮膚がしっとり潤うようであった。
「そう先の先まで考えたって、どうなるものか。」
お増はじきにいつもの自分に返った。いつまでも、こんな厭な思いをしてばかりいられないと思った。
いつか側に引き着けて、油を搾《しぼ》ったときのお今の様子などが、思い返された。お増はそれと前後して、浅井からも謝罪めいた懺悔《ざんげ》を聞いたのであったが、二人のなかは、やはりそれきりでは済まなかった。
「どうしたの。私に残らず話してごらんなさいよ。」
お増は落ち着いた調子で、お今を詰《なじ》ったが、お今は黙って、うつむいているきりであった。目が涙に曇《うる》んでいた。
「……それじゃお今ちゃん、あんまりひどいじゃないの。」
お増は、とうとうそんなことをされるようになった自分がいじらしいようであった。嫉《ねた》ましさに、掻《か》き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》ってもやりたいよう
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