よう。」
「そうは行きませんよ。」
 お増はまじまじその顔を眺めていた。
「いや、あんな女もちょっとめずらしいよ。こうなるのが、彼奴《あいつ》の当然の運命だよ。己は決して可哀そうとは思わん。」
 長いあいだ、お柳に苦しめられて来たことが、浅井の胸に考えられた。
「でも、私は一生あの人に祟《たた》られますよ。」
「莫迦《ばか》言ってら。」
 浅井は笑った。
「後悔するのが当然だ。今でこそ話すが、あの女が二日も三日も家をあけて、花を引いてあるく裏面には、何をしていたか解るものか。あの女の貞操を疑えば疑えるのだ。」
「何かそんなことでもあったんですか。」
「まあさ……そういうことはないにしてもさ。とにかくこれでさっぱりしたよ。己はこれまでに、幾度あの女のために、刃物を振り廻されたか知れやしない。それに、あの持病と来ている。まず辛抱できるだけして来たつもりだ。」
「お鳥目《あし》がなくなったら、また何とかいって来ますよ、きっと。」
「そんなことに応じるものか。」浅井は鼻で笑った。

     二十八

 お柳の手もとに育てられて来た女の子が、お増の方へ引き渡されたのは、お柳|母子《おやこ》がいよいよ東京を引き払って行こうとする少し前であった。小林の家から、浅井が途中で買った翫具《おもちゃ》などを持たせて、その子をつれて戻った時、お増は物珍しそうに、話をしかけたり、膝に抱き上げたりした。
「これがお前の阿母《おっか》さんだよ。今日から温順《おとな》しくして言うことを聞くんだよ。」
 浅井にそう言われて、子供はにやにや笑っていたが、誰にも人見知りをしないらしいのが、お増にも心嬉しかった。
 昼からつれて来た子供は、晩方にはもう翫具《おもちゃ》を持って、独りでそこらにころころ遊んでいた。
「気楽なもんだね。」お増はお今と、傍からその様子を眺めながら言った。
「ちょいと、どこか旦那に似ていやしなくて。」
 お増はその横顔などを瞶《みつ》めながら、呟いたが、それはやはり自分の気のせいだとしか思われなかった。浅井の言ったとおりに、日本橋の方の、ある料理屋に女中をしていた知合いの女と、その情夫《おとこ》のある学生との間に出来た子だというのが、事実らしく思えた。女が情夫《おとこ》と別れて、独立の生活を営むにつけて、足手纏《あしてまと》いになる子供を浅井にくれて、東京附近の温泉場《ゆば》とか
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