うせそうさ。」
 浅井が淋しく笑った。
「いいじゃないか、金がお柳さんの身につこうと着くまいと。」
 小林は言い出した。
 階下《した》へおりると、お雪がとんだところへ来合わせたというような顔をして、淋しそうに火鉢の側へ膝を崩していた。その前へ来て坐るお増の顔には、胸に溢《あふ》れる歓喜の情が蔽《おお》いきれなかった。

     二十七

 飲み出すと、いつも後を引く癖のある小林が、浅井と二、三番も碁を闘わしてから、帰って行ったのは、大分遅くであった。
「また始まったよ。」
 二階に碁石の音の冴《さ》えだした時に、ちょうどお雪からその令嬢の話など聞かされていたお増は、傍に針仕事をしているお今と、顔を見合わせながら呟いていた。お雪の口からは、お今が熱《ほて》る顔に袖をあてて、横へ突っ伏してしまうほど、きまりの悪いようなことが、話し出された。
「今度私にも加勢しろと、青柳がそう言うんだけれど、いくら何でもそんな罪なこと私に出来やしませんわ。つまり、私が現場へ呶鳴《どな》り込むかどうかするんでしょう。」
「へえ、そんな人の悪いことするの、まるでお芝居のようだね。」
 お増は目を丸くした。
「ほんとに私も厭になってしまったのよ。」お雪ははずかしそうにうつむいた。
「そんなことして、法律の罪にならないの。」
「どうだか解りゃしないわ。」
 お雪は苦笑していた。
 そこへ、ふらふらと降りて来た小林が、茶の間へ入って、女連に揶揄《からか》いながら帰って行った。
「奥さん、今夜からあなたは安心して寝られますよ。」
 小林は酒くさい息を吹きながら、
「その代り、今度はあなたの番ですよ。私が明言しておく。」
 小林はそう言いながら、衆《みんな》に送り出されて出て行った。
「厭なこと言う人だよ。」
 お雪がお今が寝静まってから、お増は蒲団のなかに横たわっている浅井の枕頭《まくらもと》へ来て、莨を喫《ふか》しながら、それを気にしていた。くやしまぎれに、小林に喰ってかかるお柳の険相な顔や、長いあいだ住みなれた東京の家を離れて、兄と一緒に汽車に乗り込んで田舎へ帰って行く姿などが、目に見えるようであった。
「あれだけは、己の失策だったよ。」
 浅井が興奮したような顔を抬《もた》げて言い出した。
「己は他に人から非難を受けるような点はないんだ。あれに懲りて、女には今後断然手を出さんということにし
前へ 次へ
全84ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング