り、商売をさせられたりして来た、友達のこの十五、六年間の暗い生活が、振り顧《かえ》られた。
「鼠《ねずみ》の子を黒焼きにして飲むといいなんて、よくそんなことを言ったものだけれど、当てになりゃしない。」
お増はそんなことを思い出していた。
「やっぱり体が弱っているんだよ。」
「とてもやりきれないと思うことがあるものね。」
二人はそう言って、大話をしながら、髪結と一緒に笑った。
家へ帰って行ったお雪が、二、三日してまた訪ねるころには、もう浅井の湯治場から帰って来た家のなかが、何となくごたついていた。
来客のある二階から降りて来たお増の顔は、どこかいつもより引き締って、物思わしげであったが、食べ物の支度に取り散らかされた長火鉢の傍に坐って、銅壺《どうこ》に浸《つか》った酒の燗《かん》などを見ながら、待っているお雪の顔を見ると、意味ありげな目色をして、にやりと笑った。お雪はすぐにそれと呑み込めた。
「お柳さんの兄さんという人が、田舎から出て来たもんだから、急に話をつけることになったの。」
「へえ、その兄さんが来たの。」
「いいえ、間《なか》へ入る人――弁護士よ。」
「うまく行きそう。」
「ううん、どうだか。」
お増は煙管を取りあげて、莨をふかしながら、考え深い目色をしていた。
「これは、とても承知しませんよ。」お増は小指を出してみせた。「だけど、兄さんという人が、田舎で役人をしていて、欲張りなんですって。それがお金次第で、どうでもなりそうなんだと。」
お増は不安そうに呟いた。
「それに、宅《うち》じゃ随分綺麗な話をしているんだもの。先の身の立つように。」
お増は落ち着いて、そこに坐っていなかった。
「あのお嬢さんどうしたの。」
立ちがけにお増が聞いた。
「駄目よ、とうとう物にならずじまいだと。」お雪は苦笑した。
「誰が、あんなお爺さんに引っかかるものか。それに、来てみて、家の汚いのに惘《あき》れたでしょうよ。」
二十六
やがて銚子《ちょうし》を持って、二階へ上って行ったお増は、いろいろの打合せをしている浅井と小林弁護士との側に、お酌などをしながら、二、三十分も坐って話を聴いていると、すぐにまた下へ降りて来た。
お柳の兄が来たという電報を受け取って、浅井が東京へ帰って来るまで、小林はもう二度もお柳の家で兄に会見しているのだということであった。
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