ころであった。どこかとそんな契約が成り立ったと見えて、お雪は身装《みなり》なども比較的綺麗であった。新調のコートや傘なども、お増の目を惹いた。お増は、「この人はいつまでこんな気楽をいっているのだろう。」と、いつもお雪について考えるようなことを、その時もつくづく考えさせられたのであったが、気心に少しの変化もみえないお雪には、それを得意がっているような様子もあった。
「それで、私の出しものが阿古屋《あこや》なんですと。」
お増は阿古屋が何であるか、よくも知らなかった。
「へえ、そんなものが出来るの。」
「どうせ真似事さ。ことによったら、それを持って北海道の方へ廻るかも知れないのよ。そうすれば、お金がどっさり儲《もう》かるから、その時は借りたお金を、あなたにもお返しするでしょうよ。」
そう言って出て行ったきり、お雪からは何の消息《たより》もないのであった。いつまでたっても、頭の上りそうもない芸人などにくっついて、うかうかと年の老《ふ》けて行くお雪の惨《みじ》めさが、情なくも思えるのであったが、気のくさくさするような時には、寸時もお雪のような心持ではいられない苦労性の自分が、窮屈でもあった。
「あの人|終《しま》いに、野仆死《のたれじに》でもしやあしないかしら。」
お増は時々浅井と、お雪の噂をしていたが、いろいろの女に心の移って行く男一人に縋《すが》っている自分の成行きも、思って見ないわけに行かなかった。
「まだ、そんなことを思っているのかい。」
そうなる時の自分の行く末のために、金や品物などを用意することを怠らぬらしい、お増の箪笥の着物や、用箪笥の貯金の通帳などの目に入るたんびに、浅井はそういって、不断は苦笑していたが、嫉妬《やきもち》喧嘩の時などには、忌々《いまいま》しげにそれが言い立てられた。
しかし仲のいい時に、そんな金がまたいつか、その時々の都合で浅井の方へ融通されていた。
「また旦那に取られてしまった。」
お増は後でハッと思うようなことがあったが、その場合には、やっぱり隠し立てをすることが出来なかった。
静子をつれて、一日外を遊び歩いていると、家を出るとき感じていたような、お今に対する憎しみの念が、いつか少しずつ淋しいお増の胸に融《と》けて行かないではおかなかった。
神田の店はだんだん繁昌《はんじょう》していた。
お芳の若やいで来た顔の色沢《い
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