って来た。兄とお柳との劇しい格闘が、道傍《みちばた》に始まった。おそろしい力が、痩せ細ったお柳の腕にあった。引き摺られて行ったお柳は、兵児帯《へこおび》で縛られて、寝所に臥《ね》かされたが、もうもがく力もなかった。
兄の留守のまに、お柳は時々|荒《あば》れ出して、年|老《と》った母親をてこずらせた。近所から寄って来た人々と力を協《あわ》せて、母親はやっと娘を柱に縛りつけた。
狂気《きちがい》の起りそうな時に、井戸端へつれて行って、人々はお柳の頭顱《あたま》へどうどうと水をかけた。
お柳の体はみるみる衰えて行った。
四十二
お柳の訃《ふ》が来たときに、お増からも別にいくらかの香奠《こうでん》を贈ったのであったが、兄はそのころ、床についた妹を、ろくろくいい医者にかけることも出来ないほど、手元が行き詰っているらしかった。死ぬまでに、小林を通して、いくたびとなく金の無心が浅井のところへ来た。浅井は三度に一度は、その要求に応じていた。
「そのお金が、お柳さんの身につけばよござんすがね。」
「どうせそれは兄貴の肥料《こやし》になるのさ。狂人《きちがい》が何を知るものか。」浅井は苦笑していた。
悲惨なお柳の死状《しにざま》が、さまざまに想像された。おそろしい沈鬱《ちんうつ》に陥ってしまった発狂者は、不断は兄や嫂《あによめ》などとめったに口を利くこともなかった。別室に閉じ籠《こ》められた病人を看護している母親に、おどおどした低声《こごえ》で時々話をするきりであった。兄を怕《おそ》れたり、嫂に気をかねたりする様子が、ありありその動作に現われていた。ちょっとした室外の物音や、話し声にも、不安な目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》るほど、鋭い神経が疑り深くなっていた。
大分たってから、一度上京したついでに訪ねて来た母親から、そんなことが小林によって伝わってから、お増は時々お柳の夢を見ることがあった。
「お前の神経も少し異《あや》しいよ。ふとしたらお柳が祟《たた》っていないとも限らない。」
浅井はそう言って揶揄《からか》った。
お今から、何の返辞をも受け取ることのできなかった室が、大分たってから、一度浅井の方へ出向いて来た。室はいくたびとなく、門の前を往来《ゆきき》してから、やっと入って来た。丈《たけ》の高い痩せぎすなその姿が、何気なしにそこ
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