気管を悪くしてゐたので、寝ようかとも思つたが、洋服を出してもらはうかとも考へてゐた。担ぎこまれてからT―のことが気にかかつた。
F―子の声が、あつちの方でしてゐた。そのF―子に言つてゐる芳夫の声もした。
「K―さん、今来てゐたんだよ。」
芳夫自身は、何か常識的、人情的な、有りふれた芸術が嫌ひであつた。
すると遽かに、おばさんがやつて来た。
「渡瀬さんからお使ひで、病院から直ぐお出で下さるやうにと、お電話ださうです。」
私は不吉の予感に怯えながら、急いで暖かい背広に身を固めた。そして念のためにM―子もつれて、円タクを飛ばした。
しかし私達が、真暗な構内の広場で車を乗りすてて、M―子が漸とのことで捜し当てた、づつと奥の方にある伝染病室の無気味な廊下を通つて、その病室を訪れたときには、T―は既に屍になつてゐた。
しかし私達は、T―が息を引取つてしまつたとは、何うしても思へないのであつた。何故なら、その時まで――それからづつと後になつて、屍室に死骸が運ばれるまで、彼女は彼の顔や頭を両手でかかへて、生きた人に言ふやうに、愛着の様々の言葉を、ヒステリイの発作のやうに間断なく口にしてゐた
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