かな心持はあつても、別にこれといふ話もなくて別れてしまつたのだが、大阪へ行くと、兄が昔のことを知つてゐて、私を同行して其のお寺を訪ねて見たが、其の娘さんは、ちやうど私と行違ひに、或る工学士に片著いて、東京へ立つたばかりのところであつた。別に失望するといふ程のことでもなかつたし、其の女性は家内のまだ生きてゐる時分一度ふらりと訪ねて来て「私はほんたうに幸福に暮してゐます」と告げた。後に今一度家内の生前、私が昔大阪で世話になつた母堂と、結婚期の自分の娘とをつれてやつて来たが、私が「あんたは随分かはつた」といふと、反撥的に「御自分だつてお爺さんになつてゐる癖に」と遺返すといつた風の人であつた。家内が死んでから、J子事件の幕間にも、一度やつて来て、家政のことについて、忠告を与へてくれたが、母堂の訃音に接して、無精にも私からお弔み一つ出さなかつたので――それも其の頃近いうち下阪する積りだつたので、其の時訪ねるつもりで、つい其れきりになつてしまつたのだつたが、兎に角それでふつつり交渉が絶えてしまつた。
しかし私は文壇的に地位もできてゐなかつたし、自信もなかつたので、現実的には結婚といふことは考へら
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