て来て初めて分つたのだつたが、ちよつと大阪へ行つて来ると言つて年の暮に出たきりだつたので、荷物もいつか物置きに仕舞ひこまれてあつた。
 この三ヶ月余りの旅が、私に何を教へたかといへば、それは矢張りもつと真面目に文学へ入つて行くより外に生きる道のないといふ事より外何の得る所もなかつた。それには私が別にさう明白に意識してゐた訳ではなかつたけれど、一年ばかりの放蕩生活――といつても月に三度か五度花街に足を踏み入れたに過ぎないのだつたが、下宿生活の佗びしさに、呑めない酒を呑んだりして、悉皆胃腸を悪くしたので、何となく生きるのが慵く、ふらふらと旅に出てしまつたのであつたが、同時に其の放蕩生活にも興味を失つてしまつて、ああいふ場所へ立入つたり、殺風景な段梯子を上つたりするのが、不愉快で堪らなくなつて来たので、先年の兄の下宿したお寺で知つてゐた少女のことなどが、何となく思ひ出せたといふことも、偽りのない其の時の気持であつたに違ひない。学才があり、男性的な気象の持主であるその女性は、私が塾にゐる時分ふらりと訪ねて来たことがあつたが、場所が場所だつたし、其の頃の私達は女は買ふものと決めてゐたので、何か仄かな心持はあつても、別にこれといふ話もなくて別れてしまつたのだが、大阪へ行くと、兄が昔のことを知つてゐて、私を同行して其のお寺を訪ねて見たが、其の娘さんは、ちやうど私と行違ひに、或る工学士に片著いて、東京へ立つたばかりのところであつた。別に失望するといふ程のことでもなかつたし、其の女性は家内のまだ生きてゐる時分一度ふらりと訪ねて来て「私はほんたうに幸福に暮してゐます」と告げた。後に今一度家内の生前、私が昔大阪で世話になつた母堂と、結婚期の自分の娘とをつれてやつて来たが、私が「あんたは随分かはつた」といふと、反撥的に「御自分だつてお爺さんになつてゐる癖に」と遺返すといつた風の人であつた。家内が死んでから、J子事件の幕間にも、一度やつて来て、家政のことについて、忠告を与へてくれたが、母堂の訃音に接して、無精にも私からお弔み一つ出さなかつたので――それも其の頃近いうち下阪する積りだつたので、其の時訪ねるつもりで、つい其れきりになつてしまつたのだつたが、兎に角それでふつつり交渉が絶えてしまつた。
 しかし私は文壇的に地位もできてゐなかつたし、自信もなかつたので、現実的には結婚といふことは考へら
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