霧ヶ峰から鷲ヶ峰へ
徳田秋聲

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)霧《きり》ヶ峰《みね》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)東|餅屋《もちや》まで

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)じめ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

 今年は何の意味にもハイキングに不適当である。平原のハイキングならまだしもだが、少くとも山岳の多い日本でのハイキングに或る程度山へ入らなければ意味を成さないのに、今年のやうにかうじめ/\した秋霖が打続いたのでは、よほど運が好くなければハイキングの快味を満喫するといふ訳には行かない。雨降りだと、雲煙が深く山を封してゐるから、折角山へ入つても山を見ることはできず、よほど厳重な雨支度をしてゐない限り、からだはびしよ濡れになつて、大概の人は風邪をひいてしまふ。私の場合はそれほどでもなかつたけれど、しかし不断の銀座散歩と少しもかはらぬ軽装で出かけたので、三里弱の山坂を登つて霧《きり》ヶ峰《みね》のヒユッテへ著いた時分には、靴も帽子もびしよ/\でヒユッテの風呂と炬燵で暖まらなかつたら、肺気腫《はいきしゆ》といふ持病のある私は或は肺炎になつて、下山することがむづかしかつたかも知れない。勿論出発した日は天気がよかつたので、朝早く新宿から出発して下諏訪《しもすは》でも上諏訪《かみすは》でもいゝ、兎に角その日に霧ヶ峰へついて了へば、たとひそこに一泊したにしても、翌日の午前中は秋晴れの山といふ訳にはいかないにしても、少くも雨降りではなかつたから、秋の高原地の跋渉は相当愉快なものであつたに違ひない。たゞ上野から出たので、折角の和田《わだ》峠へ差しかかつたのはすでに夜で、翌日は今にも降出しさうな空合だつたけれど、快晴を待つ訳にもいかないので更にある地点まで(下諏訪から東|餅屋《もちや》まで)道をダブつて、そこから鷲《わし》ヶ峰、霧ヶ峰への徒渉を始めたので、結局あたら第一日の好晴を汽車とバスに徒消《とせう》したことになつた訳である。
 下諏訪の桔梗屋で、本社の山中氏と私達父子は、支局の中島氏と、ヒユッテの持主で篤実の山の研究者であり、「山郷風物誌」などの興味ふかい著述をもつてゐる長尾宏也氏といふ霧ヶ峰スキイ場の開拓者として知られてゐる青年が、わざわざ山の案内役におりて来
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