出て、そこから一町ほど先きにある、今死んだ姉の末の娘の片づいてゐる骨董屋《こつとうや》へ飛込んだ。骨董屋といつても、店先きには格子がはまつてゐた。清らかに片づいたその店には、何一つおいてなかつた。私は八十を幾年《いくつ》か越した筈の、お婆さんに断《ことわ》つて茶の間の前にある電話にかゝつた。そして甥《をひ》を呼出した。
「それあ多分生きた鮎がなかつたんでせう。あすこでは、死んだ鮎はつかひませんから。」
 私は甥に教はつて、近くにある別の料理屋で辛《から》うじて食慾だけは充たすことができたが、無論生きた鮎ではなかつた。

 翌日の午前、納棺式が始まる頃には、私は睡眠不足と、怠屈と、お経と、想像以上の暑さとにうだつてしまつてゐた。今一人の妹とか、幾人かの姪《めひ》や甥《をひ》、又|従姉妹《いとこ》たち――その他の人達とも話を交《まじ》へたりして、各人のその後の運命や生活内容にも、久しぶりで触れることができた。こんなことでもないと、一々訪ねることもできないやうな人達であつた。その中には、産れたばかりの赤ん坊に乳房を含ませてゐる姪の娘もあつたが、私より年上の姪もあつた。兎《と》に角《かく》彼等は――私と私の子供達をも含めて、みんな私の父から発生した種族であつた。多少幸不幸の差はあるにしても、一様にどこかへ紛れこんで生きて来、生きつゝある訳であつた。私自身お上品ぶつた芸術家の矜《ほこ》りなんかは、疾《とつ》くにどこかへ吹飛んで、一人の人間として、何か大衆のなかに働いてゐる人の安らかさを思ふやうになつてゐた。都会的の刺戟《しげき》でもなかつたら、生きることに疲れきつた私は、疾《とつ》くにへたばつてゐたに違ひなかつた。
 土蔵の屋根の上の棚に這《は》はしてある葡萄《ぶだう》の葉蔭から来るそよ風に吹かれながら、二階座敷に寝ころんでゐた私は、眠れもしないので、また下へおりて行つた。
 人が多勢仏間に立つてゐた。
「湯棺だ。」
 私も人々の後ろへ寄つてみた。嫂《あによめ》や姉や、死んだ妹の二人の娘や、姪たちは、手にハンケチをもつて、涙をふいてゐた。
「なむあみだ、なむあみだ……。」
 歔欷《すゝりな》くやうな合唱が、人々の口から口に呟《つぶや》かれた。
 湯棺がをはると、今度は剃髪《ていはつ》が始まつた。法被《はつぴ》を着た葬儀屋の男が、剃刀《かみそり》を手にして、頭の髪をそりはじめた
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