じた。私はその頃、周囲に女の子の遊び友達しかもつてゐなかつた。私はその書物のなかのその話を耳にいれたとき、私もまた何かさういふ罪を犯したことがあるやうな気がしてならなかつた。病身がちな私は、屡々《しば/\》真蒼《まつさを》になつて、母に抱きついた。兎角私は死の恐怖に怯《おび》えがちであつた。
「もうそのくらゐで可《よ》からう。」
 兄がふつと言つたので、私は気がついてみると、姉のこちこちした頭髪《かみ》は綺麗に丸坊主にされてしまつた。ぼんの窪《くぼ》のところが、少し黝《くろ》い陰をもつてゐるだけであつた。
 死骸を棺にをさめる時、部屋の雰囲気《ふんゐき》が又一層切実になつて来た。歔欷《すゝりなき》の声が起つた。
「なむあみだ、なむあみだ……。」
 そしてそれが済むと、人々はそこを離れて、次ぎの部屋へ入つたり、二階へ上つたり、お茶を呑んだり、煙草をふかしたりして、他《ほか》の話をしはじめた。
 柩《ひつぎ》が外へ運び出されて、これも金ぴかの柩車《きうしや》に移されたのは、少し片蔭ができた時刻であつた。私は兄と他の人達と、後ろの方の車に乗つた。
 やがて町ばなへ出た。そして暫くすると、そこに丘や林や流れや小径《こみち》や、そんな風景が展開した。
 私が驚いたことは、自動車の一隊が火葬場の入口へ入つたとき、何か得体の知れない音楽が、遽《には》かに起つたことであつた。雅楽にしては陽気で、洋楽にしては怠屈なやうなものであつた。兎に角|笙《しやう》、※[#「感」の「心」に代えて「角」、第4水準2−88−47]篥《ひちりき》の音であることは確かであつた。私はその音楽の来る方へ行つてみた。それは柩車のなかでかけられた宮内省のサインのあるレコオドであつた。
 三時間ほどすると、重油でやかれた姉はぼろ/\の骨となつて、窯《かま》から押出された。

 その夕方、私は大阪から来てゐる嫂《あによめ》と一緒に、兄の家の広い客間で、晩餐《ばんさん》のもてなしを受けた。
 私は幾度も入りつけてゐる風呂場で汗を流すと、湯上り姿で、二間の床を背にして食卓の前に寛《くつろ》いだ。兄の家の養嗣子《やうしし》もそこで盃《さかづき》をあげた。
 この部屋も度々来て坐つたし、年々|苔《こけ》のついてくる庭の一木一石、飛石の蔭の草にも、懐《なつ》かしい記憶があつたが、最近養嗣子がこの土地の聯隊へ転任して来て、その
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