猟《あさ》ってあるいた。嫁や娘たちが、海辺や湯治場で、暑い夏を過すあいだ、内儀さんは質素な扮装《みなり》をして、川崎の大師や、羽田の稲荷《いなり》へ出かけて行った。この春に京都から越前《えちぜん》まで廻って秋はまた信濃《しなの》の方へ出向くなどの計画もあった。そのたんびに寺へ寄附する金の額《たか》も少くなかった。お庄は時々、そんな内幕のことを、年増の女中から聴かされた。
内儀さんは、家にいても夫婦一つの部屋で細々《こまごま》話をするようなことは、めったになかった。悧発《りはつ》そうなその優しい目には、始終涙がにじんでいるようで、狭い額際《ひたいぎわ》も曇っていた。階上の物置や、暗い倉のなかに閉じ籠《こも》って、数ある寝道具や衣類、こまこました調度の類を、あっちへかえしこっちへ返し、整理をしたり置き場を換えて見たりしていた。着物のなかには、もう着られなくなった、色気や模様の派手なものがたくさんあった。
「私が死ねば、これをお前さんたちみんなに片身分《かたみわ》けにあげるんですよ。」
内儀さんはその中に坐りながら言った。
老人は、頭脳《あたま》が赫《かっ》となって来ると、この内儀さん
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