れて行った時、父親はそこで三日も四日も逗留《とうりゅう》して、終《しま》いに芸者をあげて騒ぎだした。

     二

 一行が広い上野のプラットホームを、押し流されるように出て行ったのは、ある蒸し暑い日の夕方であった。
 父親は鞄《かばん》に二本からげた傘《かさ》を通して、それを垂下《ぶらさ》げ、ぞろぞろ附いて来る子供を引っ張ってベンチのところへ連れて行くと、母親も泣き立てる背中の子を揺《ゆす》り揺り襁褓《しめし》の入った包みを持って、めまぐるしい群集のなかを目の色を変えて急いで行った。停車場《ステーション》では蒼白《あおじろ》い瓦斯燈《ガスとう》の下に、夏帽やネルを着た人の姿がちらほら見受けられた。
 そこで一休みしてから、「私《わし》はまア後で行くで、お前たちは人力車《くるま》で一足先《ひとあしさき》へ行っとれ。」と言って、よく東京を知っている父親は物馴《ものな》れたような調子で、構外へ出て人力車《くるま》を三台|誂《あつら》えた。行く先は母親の側《かわ》の縁続きであった。父親は妻や子供をぞろぞろ引っ張って、そこへ入って行くのを好まなかった。
「それじゃ私は先へ行っておりますで、
前へ 次へ
全273ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング