の白い、目の細い、口の利《き》き方の優しい男であった。
 主婦がその部屋へ入り込んでいるのを、お庄は幾度も見た。
「ちょいとちょいと、面白いものを見せてあげよう。」剽軽《ひょうきん》な女中はバタバタと段梯子《だんばしご》から駈け降りて来ると、奥の明るみへ出て仕事をしているお庄を手招ぎした。
 女中は二階へあがって行くと、足を浮かして尽頭《はずれ》の部屋の前まで行って、立ち停ると、袂で顔を抑えてくすくす笑っていた。
 十時ごろの下宿は、どの部屋もどの部屋もシンとしていた。置時計の音などが裏《うら》からかちかち聞えて、たまに人のいるような部屋には、書物の頁《ページ》をまくる音が洩れ聞えた。
 お庄は逃げるように階下《した》へ降りて行くと、重苦しく呼吸《いき》が塞《つま》るようであった。
 お庄は冬の淋しい障子際に坐って、また縫物を取りあげた。冷たい赭《あか》い畳に、蝿《はえ》の羽が弱々しく冬の薄日に光っていた。

     十三

 横浜の店をしまって、一家の人たちがまた東京へ舞い戻って来るまでには、お庄も二、三度その家へ行ってみた。
 家は山手の場末に近い方で、色の褪《あ》せたような店に
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