どした時の父親の挙動《ふるまい》は、今思うとまるで狂気《きちがい》のようであった。母親も着飾って、よく女連と一緒に坐って聴いていた。父親や村の若い人たちは終いに浮かれ出して、愛らしい娘を取り捲《ま》いて、明るい燭台《しょくだい》の陰で、綺麗なその目や頬《ほお》に吸いつくようにしてふざけていた。お庄はきまりはずかしい念《おも》いをして、その義太夫語りに何やら少しずつ教わった。
「妾《あたい》にこのお子を四、五年預けておくれやす、きッと物にしてお目にかけます。」と太夫は言っていたが、父親はこんな無器用なものには、芸事はとてもダメだと言って真面目に失望した。
秋風が吹いて、収穫《とりいれ》が済むころには、よく夫婦の祭文語《さいもんかた》りが入り込んで来た。薄汚《うすぎたな》い祭文語りは炉端《ろばた》へ呼び入れられて、鈴木|主水《もんど》や刈萱《かるかや》道心のようなものを語った。母親は時々こくりこくりと居睡《いねむ》りをしながら、鼻を塞《つま》らせて、下卑《げび》たその文句に聴《き》き惚《ほ》れていた。田のなかに村芝居の立つ時には、父親は頭取りのような役目をして、高いところへ坐り込んで威張
前へ
次へ
全273ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング